BCリーグから阪神へ 強肩強打の捕手・町田隼乙を飛躍させた「名将の熱血指導」と「プロの二軍キャンプ」
阪神ドラフト4位
町田隼乙インタビュー 後編
(前編:「捕手失格」から這い上がったBC埼玉での3年間>>)
甲子園は遠くにあるものだった。テレビでは見ていたが、一度も訪れたことはない。そんな少年は高校卒業後に独立リーグでたくましく成長し、今年のドラフト会議で阪神に4巡目で指名された。町田隼乙(21歳/ルートインBCリーグ・埼玉武蔵ヒートベアーズ)にとって、甲子園のグラウンドに立つことは現実的な夢になった。
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【フェニックスリーグで受けた熱血指導】
神奈川で育った町田だが、幼い頃の阪神の思い出について、「家族と横浜スタジアムに観戦に行った横浜戦(2008年4月12日)で、金本知憲さんの2000安打達成の瞬間を見たことがあるんです。ライト前ヒットでした」と振り返る。
それから15年後、もうひとつの「自慢」ができた。2023年のみやざきフェニックスリーグで、IPBL(日本独立リーグ野球機構)選抜が阪神と対戦した際に、町田は青柳晃洋からホームランを放った。日本シリーズ直前に調整していた"本気モード"の青柳から放った一発は自信になった。
そのフェニックスリーグは、捕手として伸び悩んでいた町田が殻を破るきっかけになった。前期のIPBL選抜を率いた、独立リーグ・九州アジアリーグの大分B-リングスの山下和彦監督から、「お前はNPBに行ける」と熱心な技術指導を受けたのだ。近鉄や日ハムで捕手としてプレーした山下監督に、基本的な動作やスローイングをマンツーマンで見てもらうなど、捕手としての経験と知識を伝授された。
「試合のあとに呼ばれて監督のところに行ったら、すごく分厚いノートを渡されて。『山下ノート』と言うんでしょうか。それを『フェニックスリーグの期間中、貸してあげるから』と。たぶんNPBでプレーしていた時や、コーチ時代などにずっと書いていたんでしょうね。驚くことばかりで、それをノートに写したり、写真を撮らせてもらったりしました」
山下監督からは、「NPBに行かせてやるから大分に来い」とも誘われたという。「素晴らしい指導者だと思いますし、教えを受けたい気持ちはありました」と悩んだが、BC埼玉に残留することを選んだ。高校卒業からお世話になったチームでNPBに行く、と決めていたからだ。
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