1984年オールスター 江川卓の8連続三振のあとマウンドに上がった鈴木孝政はしらけムードのなか1イニングを投げた (2ページ目)
話を始めると記憶がどんどん蘇ってきたのか、より饒舌になっていく。
「三振をとるたびにすごい盛り上がりでね。江川が投げている間は、超満員のスタンドはシーンとなって、みんな前のめりになって見ている。江夏豊さん(1971年オールスター第1戦)以来の9連続三振を見たいからね。結局、連続三振は8で止まって、次にオレが1イニング投げるわけです。地元なのに歓声もないし、スタンドの観客はゾロゾロと立ち上がってトイレに行ったりして。オールスターはもう、そこで終わったみたいに、『あぁ、次は孝政が投げるんだ』みたいな感じで、観客は全然集中していない。もう完全にしらけムードですよ。ほかの球場ならまだ許せるけど、地元でだよ」
鈴木は苦笑するしかなかった。オールスター出場7回のうち、二度目の地元開催だったのに、江川の8連続三振のあとにマウンドに上がったため、まったく盛り上がらないまま1イニングだけを投げた。
【江川卓は今で言うと大谷翔平】
鈴木は、10年目に先発に転向してから、1986年に16勝を挙げてカムバック賞を受賞するなど、17年の現役生活で124勝94敗96セーブの成績を残した。ちなみに、中日の高卒投手で現役を15年以上続けて、100勝以上挙げたのは鈴木と小松辰雄のふたりしかいない。
「高卒ルーキーのピッチャーで、開幕一軍入りしたのは、あとにも先にもオレひとりだけ」
鈴木はより目を細めて誇らしげに言い、さらに続けた。
「1年目のオープン戦、南海とのダブルヘッダーの1戦目に投げて6回をゼロに抑えたのよ。1戦目はフルメンバーで、野村克也さんも出ていた。まだ新人だったから、2戦目はバックネット裏でスコアをつけていると、野村さんがつかつかやって来て、『おまえ、どっから来たんや?』と。『千葉の成東高校からです』って、直立不動で答えましたよ。そしたら野村さんがボソッと『うちのスカウトは、何しとんじゃ』って言うのよ。そのひと言がどれだけ自信になったことか。今でも忘れられない」
当時、南海のプレーイングマネージャーだった野村から、思ってもみないひと言がルーキーの心に突き刺さり、大きな自信となった。
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