もし40年前にWBCがあったなら... 侍ジャパンのメンバーはどうなる? エースは? 4番は?
大谷翔平、ダルビッシュ有、さらに侍ジャパン初の日系人選手、ラーズ・ヌートバーらの活躍により、日本中を熱狂の渦に巻き込んでいる第5回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)。そんな彼らの活躍を見るたびに思うのが、もし昔からWBCがあったならどんな選手が選ばれているのかということだ。そこで、今から40年前の1983年にWBCがあったらと仮定して、独断と偏見で"最強ジャパン"をつくってみた。
独断と偏見で選出した40年前の侍ジャパンメンバーこの記事に関連する写真を見る先発三本柱/江川卓(巨人)、北別府学(広島)、山田久志(阪急)
エースは、メジャーの強打者相手にもストレートで勝負できる江川卓。わかっていても打たれない快速球を武器に、1982年は19勝を挙げる活躍を見せた。その江川を抑えて82年の沢村賞に輝いたのが、 "精密機械"と評される抜群の制球力で20勝を挙げた北別府学だ。なかでもスライダーの出し入れは絶品で、メジャーの強打者もそのキレとコントロールのよさに面喰らうことだろう。
そしてもうひとり、絶対に入れるべき投手が山田久志。日本球界最高の"サブマリン"と評され、通算284勝をマークしたレジェンド。日本の国際大会の歴史を振り返ると、サブマリン投手の活躍は必要不可欠である。アンダースローから140キロを超すストレートを投げるピッチャーは当時でも稀で、山田がメジャーリーガーを相手に手玉にとる姿は容易に想像がつく。
ほかにも、伝家の宝刀であるシュートを武器に江川とともに巨人先発陣を支えた西本聖、左腕ではダイナミックなフォームからキレのいいストレートを投げ込む大野豊(広島)も先発候補としてメンバーに入れておきたい。
抑え・江夏豊(日本ハム)
当時はクローザーという概念が定着しておらず、今のように勝ち試合の1イニング限定で投げる投手は皆無だった。そんななか、現役晩年はリリーフ投手として"優勝請負人"の異名をとった江夏豊は稀有な存在。全盛期のスピードこそないものの、卓越した制球力と投球術は健在で、日本代表の守護神として大車輪の活躍を見せてくれることだろう。
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