2020.03.02

FA宣言第1号の松永浩美が語る
「球界の寝業師」根本陸夫との点と線

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Kyodo News

 その88年、東京六大学で通算31勝を挙げた左腕、慶應義塾大の志村亮がプロ入りを拒否。同年の"ドラフトの目玉"と言われ、1位指名で競合必至と目されていたが、硬式野球部のない大企業に就職する。また、90年にはドラフト1位で8球団が競合した左腕、亜細亜大の小池秀郎(元・近鉄ほか)が、交渉権を獲得したロッテを拒否した。

 この2つの「拒否」にショックを受けた松永は、当時、労働組合 日本プロ野球選手会(以下、選手会)の事務局長だった大竹憲治(元・巨人)に相談。「プロ野球を夢のある世界にするにはやっぱりお金だろう。自由に好きな球団に行って、お金がたくさんもらえるなら、入ってくる確率も高い。ならば、FAを採り入れるのはどうだろう。選手会で提案したい」と願い出た。

 どちらかといえば、この松永の思いは、志村のようにプロ入り自体を拒むケースに向けられている。一方、小池の場合は希望球団ではなかったがゆえの拒否だが、そもそも、FAはドラフトの補完的な制度と考えられていた。すなわち入団時に球団を選択できなかった代償として、一定の実績を挙げた選手に与えられる選択権がFAであると。

 いずれにせよ、松永には「自分と同じ思いの選手は少なくない」という確信があり、選手会の役員を務める立場だったから事務局を訪ねた。すると、大竹から役員総会で議題に挙げるように言われ、実際に松永はその場でFAを提唱した。ただ、提唱の理由はそれだけではなかった。

「もうひとつの理由は『統一契約書の中身を変えたい』ということで、本来はこっちが主旨でした。以前は球団と選手の関係が9.5:0.5ぐらいの割合で、選手の権利は『辞めます』しかなかった。これじゃおかしいだろ、ということで、選手側にも何らかの権利を与えられるような契約書にしたい、と考えたんです」