わずか3年で戦力外となった、元DeNA山本武白志が追うビッグマネー (2ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Kyodo News

【プロの壁にぶち当たり、3年で引退】

 山本が試合に出られない苦しみを味わったのはプロになってから。ずっと自信を持っていた打撃も振るわず、打席に立つチャンスも回ってこなかった。

 当時のことを、書籍『レギュラーになれないきみへ』(岩波ジュニア新書)の中でこう語っている。

「プロになってからは結果が出なかったので、つまらなかったですね。野球を嫌いになるということはなかったですけど」

 1年目はイースタン・リーグで打率1割4分3厘、2年目は打率0割5分4厘。3年目こそ打率が2割を超えたが(2割1分3厘)、本塁打は1本だけ。わずか3年で戦力外通告を受け、ユニフォームを脱ぐことになった。

「育成契約ではありましたが、支配下選手と同じように扱っていただいたと思います。成績がふるわなかったのは、実力不足だったから。環境のせいではありません。指導者の方、先輩にもよくしていただきました。みなさんに感謝しています」

 プロの壁と格闘した3年間、最後までそれを乗り越えることはできなかった。

「二軍にも、一軍で成績を残したすごいピッチャーがたくさんいました。高校のときとは、スピードも球威もコントロールも違いました。どうにかして打ってやろうとずっとやってきて、マイナスなことはまったく考えませんでした。なかなか試合に出られませんでしたが......」

 ずっと主力選手として活躍してきた山本にとって、ベンチを温めるのは初めての経験だった。

「腐りはしなかったけど、ずっと打てなかったから、面白くはなかった。どうすればいいのか、自分ではよくわからなかったですね。試合に出る出ないは自分次第。自分の実力が不足していたということです」

 山本はなぜプロ野球で通用しなかったのか。

「なぜか......それはよくわかりません。ある日、球団の人から連絡があった瞬間、『ああ、クビだな......』と覚悟しました」

 球団の担当者から契約をしないことを告げられたとき、野球をやめることを決意した。188センチ、90キロを超える体格。21歳という若さを考えると、野球を断念するのは早すぎる気がするが、山本に未練はなかった。

「いろいろな人に『もったいない』と言われましたが、僕の感覚では、その意味がわからなくて......3年間プレーして、いい結果を出せないままクビになって、なぜもったいないのか」

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