西武・橋上コーチ就任1年目、選手との信頼関係はズタズタだった (3ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • 小池義弘●写真 photo by Koike Yoshihiro

 とはいえ、指導者しての準備に怠りはなかった。2016年2月のキャンプ中、橋上は選手個々の能力を考慮して指示を出していた。

 たとえば、2015年の選手個人の三振数。リーグワースト1位が中村剛也で172個、2位がメヒアで153個、3位が森友哉で143個、そして4位が浅村栄斗で136個と「上位」4人までを西武勢が占めたのだが、橋上は「(本塁打を量産する)中村とメヒアは仕方ない」としていた。

 その代わり「もともと能力が高い浅村は、状況に応じた打撃ができるはず」として、浅村、森とは個別に対話。結果、両選手とも、2ストライクと追い込まれた後の打撃の改善を目標に掲げ、つなぐ打撃の大切さを再認識していたという。

 ところが、いざシーズンが始まり、チームとしての結果が出ない状況が続くと、橋上と選手との関係がギクシャクし始める。前半戦が終わる頃には、内部の不平不満がマスコミにも漏れ伝わった。

 すなわち、<選手へのきめ細かな個別ミーティングを売りに、大味な西武野球の改革者となるはずだった>のが、<個別なアドバイスはあるが、作戦がチーム全体で共有できていない。試合中に選手個々が橋上コーチに確認にいくようなおかしな状況が続いている>といった現場の声がスポーツ紙で報道されることもあったのだ。

「新聞報道は間違ってないです。その点、私よりも西武に長くいて、すでに選手との信頼関係が築けているバッティングコーチに対しても同じような部分があって......。直接的な技術指導をするコーチをないがしろにしたわけではまったくないんですけど、私が『選手ありき』でアプローチしたのもよくなかったなと。バッティングに関することはまずコーチに伝えて、それから選手、という形でやっていかないといけなかったんです」

 そんな内情もあった2016年、チームが3年連続Bクラスに終わった半面、打率はリーグ2位、本塁打はトップだったが、三振は1071個でワースト2位。監督が田邉徳雄から辻発彦に交代し、翌2017年は選手起用も変わっていく途上、橋上はひとりの選手の変化を感じていた。新たにキャプテンに任命した浅村の打撃に変化が見られたのだ。

つづく

(=敬称略)

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