高校野球の儀礼的なものをなくす。早大の「補欠主将」が聖カタリナで取り組んでいること
【名門・早稲田大学を支えた控えのキャプテン】
日本の学生野球リーグで最古の歴史を誇る東京六大学野球。その中でも早稲田大学は特別な存在だ。長く日本の野球界をリードし、数多くの名選手をプロ野球に送り込んできた。そのキャプテンに与えられる背番号10の重みは、実際につけた者にしかわからない。
強豪校のキャプテンの仕事はたくさんある。プレーヤーとして勝利に貢献すること、大勢の部員をまとめること、後輩たちの模範となり、伝統をつないでいくこと。
多くの者がその重みを感じながら、チームを率いてきた。
この春のセンバツで、甲子園初出場を決めた聖カタリナ学園の監督を務める越智良平が、早稲田大学野球部のキャプテンに指名されたのは2001年秋のこと。『補欠のミカタ レギュラーになれなかった甲子園監督の言葉』(徳間書店)の中で、越智はこう振り返っている。
「僕は試合にほとんど出ていないし、故障もあったので、監督から『学生コーチになれ』と言われるかもしれないと覚悟していたくらいでした。でも、キャプテンに指名いただき、驚きました」
センバツ出場が決まり、喜ぶ聖カタリナの選手たち 長く野球界をリードしてきた早稲田大学の主将の責任は大きい。
「野村徹監督(当時)に、試合に出ていない時の姿勢、チームへの貢献など、野球の実力以外の部分を評価していただいたようです。うれしさよりも、不安でいっぱいでした。『俺で大丈夫か』と」
試合に出られないキャプテンに何ができるのか?
早稲田の背番号10を汚すわけにはいかない。
そういう思いがあった。
「当時は、東京大学に松家卓弘投手(元北海道日本ハムファイターズなど)がいて強かったので、ヘタをすれば最下位の可能性がありました。もし、チームがふがいない成績だったら、『控えがキャプテンをやっているからだ』と言われるんじゃないかとも思いました」
大勢の同級生の中でキャプテンを任されたことに対して、喜びはなかった。
「考えたことは、歴史がある野球部の中で汚点になってはいけないということだけですね。責任が重すぎて、キャプテンに選ばれたうれしさを感じることはありませんでした。4年生の僕たちに力がなかったので、下級生たちがプレーしやすいようにと心がけました」
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