池江璃花子は世界へ再スタート、平井瑞希の底知れぬ上昇気流――パリ五輪女子100mバタフライ日本代表コンビのそれぞれの挑戦 (3ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • 中村博之●写真 photo by Nakamura Hiroyuki

【池江を抑えた高校生・平井瑞希の強さ】

まだまだ伸び代のある平井瑞希まだまだ伸び代のある平井瑞希この記事に関連する写真を見る

 そんな池江を100mバタフライで破った平井は、高校3年生で臨むパリ五輪から、かつての池江が歩んだ道のりを追いかけるような挑戦を始めようとしている。

 平井は同種目で一昨年、昨年と出場した世界ジュニア選手権で優勝に3位、昨年のインターハイを制するなど、世代トップ選手として活躍してきた。この冬場もその成長曲線は止まらず、昨年まで58秒台だった自己ベストを今年2月には57秒08まで伸ばしていた。そして今大会でも予選で派遣標準を突破する57秒23で1位通過すると、準決勝では57秒13。そして決勝では前半50mを4番手で折り返すと、終盤に伸びて56秒91の自己新で優勝を果たした。この種目での56秒台は日本女子では池江に続き史上2人目である。

 記録向上の大きな要因にキックが挙げられる。昨年末からトップ選手の映像を見て水中でのドルフィンキックの技術を改良し、スタート後のキックもこれまでより2回少ない回数で同じ距離、スピードで進むまでになった。打つ回数が減ることは、体力が温存される効果も生み出す。

 指導する萱原茂樹コーチは「スタート後のドルフィンキックも15mの制限がなければもっと速い。特に彼女はダウンキックよりもアップキックのほうがうまい。どうしても下(に蹴る)よりも上に上げる動作は力が入ってしまうけど、そこがうまいのは彼女の武器」と評価する。

 平井の成長は家族の熱心なサポートにも支えられてきた。萱原コーチの指導を受けるために中学3年の9月から、当時居住していた愛知県から神奈川県に土日ごとに通い始め、中学卒業を機に家族で神奈川県に移住したほどだ。萱原コーチは「なぜ自分が選ばれたのかわからない」と微笑しながらも、その指導方針は「平井に限らず、泳ぎ(フォーム)をいじらないこと」と言うように、選手自身が考えながら成長できる関係が築き上げられているのかもしれない。

 平井は五輪代表を決めた後、冷静にレースを振り返った。

「最後のタッチが伸びてしまった。それに後半の浮き上がりがすごく失敗してしまったので、そこを直して五輪のメダル獲得という目標に近づけるように頑張りたい。池江さんはずっと目標にしていた選手なので、一緒にパリに行けるのはすごくうれしいです」

 平井も池江と同じように「単種目には絞りたくない」と、今大会では100m自由形や50m自由形にも出場し、50mバタフライでは1位になっている。萱原コーチは「ストロークにはまだ課題があるが、そこがうまくなれば可能性は無限大」と、パリ五輪での飛躍を期待する。

 2度目の世界挑戦を始めた池江と、新たな挑戦の平井。ふたりがこれから刺激し合って競り合っていけば、女子バタフライの世界との差は、再び大きく縮まり始めるに違いない。そんなふたりへの期待を大きくする代表選考会になった。

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著者プロフィール

  • 折山淑美

    折山淑美 (おりやま・としみ)

    スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。

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