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箱根駅伝2025 青山学院大の「箱根王者」としての源流にある「厳しさ」と「優しさ」 (3ページ目)

  • 生島 淳●取材・文 text by Ikushima Jun

【紆余曲折を経て躍動する鶴川正也の歩み】

 今年の4年生でも、失敗をプラスに変えた選手が出場する。

 鶴川正也だ。

 取材をしていて、原監督は"鶴川に対しては厳しいな"とは思っていた。

 熊本の九州学院高から鳴り物入りで入ってきたが、練習しては故障し、故障明けで後れを取り戻そうと頑張ると、また故障することの繰り返し。3年の秋、出雲駅伝の6区を任されたが、区間10位に沈んだ。そのあと、原監督はこう話していた。

「鶴川は発想を変えないと、ポテンシャルを発揮できないんじゃないかな」

 どこか突き放したようでもあるが、それでもあきらめてはいない。あとからわかったのだが、出雲の凡走に自分自身がっかりした鶴川は、練習で気合いを入れた。しかし、それがオーバーワークにつながり、故障。前回の箱根駅伝のメンバー16人にも入れなかった。

「チームは総合優勝しましたけど、自分だけはどん底でした」と鶴川は振り返るが、原監督は冬の時期から彼に寄り添った。

「鶴川は4年生になってから、授業の関係もあって、個人でポイント練習をすることが多かったんです。ひとりのポイント練習はきつい。引っ張ってくれる仲間もいないし、自分で限界に挑戦するしかないからです。それでも、鶴川は自分で追い込めたね。彼の陸上に対する思いが強かったんでしょう。6月の日本選手権の前は、5000mで優勝するんじゃないかっていうくらい、絶好調だった」

 日本選手権では4位入賞。やはり、並の選手ではなかった。そして駅伝シーズン。出雲の1区、全日本の2区で区間賞を獲得し、太田蒼生、若林宏樹らとともに、4年生としての存在感を発揮している。

 そういえば、鶴川に向き合ったのは、監督だけではなかった。寮母を務める原美穂さんは、こんな話をしてくれたことがある。

「鶴川が1年生だった時、フラフラしてたから、言ったの。『同級生の東洋の石田(洸介)は結果、出してるよ』って。そうしたら、鶴川はムキになって、『自分だって走れる状態だったら絶対に負けない』って言い返してきて。そう言うんだったら、走れる状態にしなさいって話なんだけどね(笑)」

 美穂さんのこの言葉にも、厳しさと優しさがあふれる。

 鶴川にとって、今回の箱根駅伝は最初にして最後の機会。4年間のストーリーをどう、締めくくるだろうか。

つづく

著者プロフィール

  • 生島 淳

    生島 淳 (いくしま・じゅん)

    スポーツジャーナリスト。1967年宮城県気仙沼市生まれ。早稲田大学卒業後、博報堂に入社。勤務しながら執筆を始め、1999年に独立。ラグビーW杯、五輪ともに7度の取材経験を誇る一方、歌舞伎、講談では神田伯山など、伝統芸能の原稿も手掛ける。最新刊に「箱根駅伝に魅せられて」(角川新書)。その他に「箱根駅伝ナイン・ストーリーズ」(文春文庫)、「エディー・ジョーンズとの対話 コーチングとは信じること」(文藝春秋)など。Xアカウント @meganedo

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