田中佑美がパリオリンピック準決勝のレーンで考えていたこと「ラッキーで決勝に行けたとしても、それはそれでよくない」
陸上・女子100mハードル
田中佑美インタビュー中編
◆田中佑美・前編>>「『怖い』よりも『楽しい』。パリは『自分の大会』だった」
ブービー(下から2番目)からの挑戦ながら、パリオリンピックの陸上・女子100mハードルに出場した田中佑美(富士通)は、その舞台で堂々としたパフォーマンスを披露し、準決勝まで駒を進めた。
印象的だったのは、敗者復活ラウンドでのひとコマだ。2着に入り、準決勝進出を決めた田中は、1着のロッタ・ハララ(フィンランド)と抱き合って、健闘を称え合った。
そればかりか、敗れた選手たちも彼女たちのもとに駆け寄り、ふたりを祝福していた。その場面は、田中が積極的に海外遠征を行なってきた"副産物"とも言えた。
田中がパリでの戦いを経て、得られたものとはどんなものだったのか──。
◆田中佑美・パリオリンピックを終えて〜「私服」スタジオ撮影オフショット集>>
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田中佑美はパリで新たな自分を見つけた photo by Sano Mikiこの記事に関連する写真を見る── パリオリンピックを経て、自分のなかで目線や目標意識は変わりましたか?
「そうですね。それがオリンピックだったからかはわからないんですけど、もっと海外の試合に行って、トップレベルの選手と競る経験がしたいなって思いました」
── 海外の選手と競る経験というと、今回から設けられた敗者復活ラウンドでは、顔見知りの選手が多かったと言っていました。それで力を出せた部分もあったのでしょうか?
「敗者復活戦で同じ組を走った選手も、ほかの組にいた選手も、ワールドランキングをたくさんチェックしてきたのもあって、『あの選手ね』って知っていた選手も多かったですし、実際に一緒に走ったことのある選手ばかりでした。そういう意味では、オリンピックの雰囲気に変に飲み込まれることなく走れたかなと思います。
力を出せたのも、海外遠征をして彼女たちとつながりがあったからこそ、だったと思います。フィンランドのロッタ・ハララ選手はタンペレ(フィンランド南西部の都市)の出身だったと思うのですが、2年前にタンペレで開催されたインドアの大会で一緒になったことがありました。
彼女は大きなケガを乗り越えて復帰し、ベストを更新して今のポジションにいる選手で、タンペレではヒーローのような扱いをされていました。実は、彼女と一緒に走った時に、私はハードルに激しくぶつけて彼女の走路を妨害してしまったことがありました。その試合が終わってから謝りにいったことがあって、彼女も私のことを覚えていてくれました。
敗者復活戦のあと、ウォーミングアップをしている時にまた会ったんですけど、『チーム・タンペレ、がんばろうね』と声を掛け合いました」
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著者プロフィール
和田悟志 (わだ・さとし)
1980年生まれ、福島県出身。大学在学中から箱根駅伝のテレビ中継に選手情報というポジションで携わる。その後、出版社勤務を経てフリーランスに。陸上競技やDoスポーツとしてのランニングを中心に取材・執筆をしている。