パリオリンピック男子3000m障害 2大会連続入賞の三浦龍司が掴んだ「勝負できる」手応えと"サンショー"の伝道師としての役割
三浦龍司は戦い抜いたレース内容に今後への自信と課題を見出した photo by JMPA
【激闘のレース内容の末に掴んだ8位入賞】
8月7日(日本時間8月8日)、パリ五輪陸上競技7日目の最終種目として行なわれた男子3000m障害は、「これぞ、オリンピックの"サンショー" (3000m障害)」と言えるような激烈なレースだった。
スタートからアビナシュ・ムクンド・サビレ(インド)が400mを1分01秒1のハイペースで突っ込むと、それにゲトネット・ワレとサムエル・フィレウのエチオピア勢のふたりが追随する形でレースが幕を開ける。
だが、水壕もある次の400mは1分6秒、1000mを2分39秒5で通過すると、1200mからの400mは1分9秒台まで落ちる激しいペースチェンジでレース終盤に向けてのかき引きがなされる。それをケニアのシモン・キプロプ・コエチが1分7秒台に戻すと、それに乗ったモロッコのモハメド・ティンドゥフティが1分6秒台にし、2400mからの100mは15秒台に上げ、最後の激しい競り合いの下準備が整った。
そしてラスト500mからは、100m15秒前半から14秒台、時には13秒台にまで入るスプリント合戦に。その間には転倒者2名、途中棄権1名が出る争いとなるなか、前半は中盤の8番手あたりに位置していた三浦龍司(スバル)は、1600mすぎからは13~14番手まで下がったものの、ラストのスプリント合戦が始まると100mを15秒0前後のペースを続けて順位を8位まで上げ、そのまま8分11秒72でフィニッシュ。最後まで熾烈だったメダル争いに5秒強遅れる結果だったが、そのバトルにしっかり参加しただけでも賞賛すべき、見事な走りを見せた。
東京五輪より順位はひとつ下がったものの、三浦は「僕のなかでも粘ることができたし、ラストの競り合いにも辛抱強くいられたのは、すごく手応えがありました。決して悪いレースじゃなかったと思います」と満足の表情を見せる。
三浦は、障害を跳ばない最初の400mがハイペースになった時、一瞬「このまま行ききるのかな」とも思ったが、「中盤に抑えてきたから、これなら最後はカオスになる」と覚悟したという。
「最初の1周目はワンテンポ遅らせて集団のなかにいたのは、いい判断ができたと思います。レース中盤で集団が詰まった時は障害がなかなか見えづらかったけど、リズムを崩すことなく進めていたので、走りとしてはうまくいったと思います。ラストの競り合いでは先頭争いからこぼれてしまったけど、ラスト2周、1周のキレに関しては、今年一番足がさえていたと思います」
1人目の転倒の時は少し影響が出そうな危うさはあったが、2人目の時は余裕を持って避けることができたという三浦は、冷静にレースを振り返りながら、メダルへの距離感も肌で感じることができた。
「今日は本当にサンショーの面白さ、難しさがすべて詰まったレース。難しさで言えば難易度はかなり高かったのではないかと思います。レースのうまい選手も多かったし、ここまでの短期間にグーッと伸びてきている選手も多かった。そのぶん力のあるケニア選手でもこぼれていった難しいレースだったと思います。
メダルへの距離が近づいたと一瞬思ったけど、やっぱりラストの駆け引きと競り勝つ力がなければ、まだまだメダルには届かない。でも一方で、『逆にあそこを克服することができれば一気に追いつくのではないかな』とも思いました」
東京五輪と比べれば、充実度はパリ五輪のレースのほうが格段に高かった。
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著者プロフィール
折山淑美 (おりやま・としみ)
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。