パリオリンピック女子100mハードル 日本記録保持者・福部真子が肌で感じた大舞台の尊さと世界トップクラスの壁

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi

福部真子は予選突破も準決勝で世界との差を痛感した photo by YUTAKA/AFLO福部真子は予選突破も準決勝で世界との差を痛感した photo by YUTAKA/AFLOこの記事に関連する写真を見る

【準決勝で体感した世界の厚い壁】

 6月下旬の日本選手権では参加標準記録突破と優勝でパリ五輪代表を決め、7月20日のオールスターナイト陸上では自身が保持する日本記録を12秒69まで伸ばす好調な状態でパリ五輪本番を迎えた、陸上女子100mハードルの福部真子(日本建設工業)。陸上競技7日目の8月7日に行なわれた予選では、安心できる走りを見せた。

 福部の予選第1組は、2021年の世界選手権準決勝の同じ組で12秒12の世界記録を見せつけられたトビ・アムサン(ナイジェリア)もいる組。福部は1台目のハードルをトップで入ると、その勢いを維持し3台目を2番手で通過、その後も大きく崩れることなく12秒85の4番手でフィニッシュした。3番手のジェニーク・ブラウン(ジャマイカ)とは わずか0秒01。準決勝進出の条件は、各組着順3番手以内と全組4番手以下の記録上位3名までのため、残り4組の結果待ちになった。

「やっぱ着順で残りたかったし、0秒01秒差だったので、そこが自分の詰めが甘かったなと思いました。全5組が終わるまでプラス進出者の待機場所で待っているのが本当に長くて。『あと0秒01速かったらもう帰れていたのに』と思いながら待っていました」

 結局プラス3番目の記録で予選通過。敗者復活ラウンドは避けられた。

「自分の状態がいいから、勝手に『準決勝へ行く』と決めつけていました。『とにかく自己ベストを出すしかない。それしか道はない』と思っていたので、オリンピックであることはあまり感じてなかったけど、会場に入った瞬間にちょうど男子走高跳で選手が跳んだ時で、『ワーーッ』という大歓声にびっくりするほど圧迫感がありました。日本では経験できないし、世界選手権のオレゴン大会は観客が近かったけどそんな満席ではなかったので、それでちょっと『オリンピックだ』と思い出した感じです」

 スターティングブロックの角度がきつく、耐えられるかという不安でスタートはあまりよくなかったという福部だが、1台目のハードルを越えてからは自分のリズムが徐々に戻った。「準決勝も、1台目しっかり入れれば自己ベストは確実に出るなっていう手応えを感じている」と次への意欲を語っていた。

 だが、2日後の準決勝では、世界のトップクラスとの差を感じることになった。

「最低でも12秒7台の後半、もしくは(7台)前半でまとめられれば地力がついたと思える」と語っていた福部は、「コーチと、勝負するのは3台目までと話したので、それだけは自分のなかで達成しようと思い、『1台目は誰よりも速く入る』という気持ちでスタートを切れたので、そこは評価していいと思います」と、1台目はトップで2台目は2番手でクリアした。だが3台目を越えてからは隣の4レーンのアケラ・ニュージェント(ジャマイカ)や5レーンの前回女王、ジャスミン・カマチョクイン(プエルトリコ)という12秒台前半を持つ選手たちにスーッと離された。結果は、12秒89の組5着でフェニッシュ。決勝進出は各組2着以内に全3組の3着以下記録上位2名で、後者の2番目の記録は12秒52。決勝の舞台は遠かった。

「12秒7台や6台は"ひとり旅"(独走)のレースで出したものだけど、オリンピックの準決勝はまったくリズムの違う選手とのレースで、そこでどう自分が切り替えればよかったのか、自分の走りをどう体現すればよかったのか......。

 ハードリングのスピードだけを出すのではなく、スプリントを出しながらそのなかにハードリングを入れなければいけないという細かいところは異次元というのが正直ある。本当に緻密なアタックの仕方、着地の仕方、抜き足の持って行き方などすべてにおいて、ほかの選手とは、天と地の差だったという感じはします」

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著者プロフィール

  • 折山淑美

    折山淑美 (おりやま・としみ)

    スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。

フォト集:福部真子(パリ五輪100m H代表)「春色」ショット

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