【パリオリンピック男子4×100mリレー】2走にサニブラウンを抜擢 5着もメダルに0秒17差と今後への可能性を証明

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi

常に攻め続けた決勝のメンバーたち(右からサニブラウン、坂井、桐生、上山) photo by JMPA常に攻め続けた決勝のメンバーたち(右からサニブラウン、坂井、桐生、上山) photo by JMPA

 オリンピック2大会ぶりのメダルを狙った8月9日のパリ五輪、陸上男子4×100mリレー(4継)決勝。37秒78で5位に終わったとはいえ、3位のイギリスに0秒17差。アンカーに渡った時点ではトップに立っていたように序盤から攻め続けた姿勢は「もしかしたら」という思いを膨らませる、手応えを感じるものでもあった。

【サニブラウン2走が突如実現した背景】

 大黒柱のサニブラウン・アブデル・ハキーム(東レ)は、個人の100mでは準決勝で自己新の9秒96を出しながら決勝進出を果たせなかったが、リレーでは主力としての役割を十分に果たした。

 8月7日の予選1組目は、5月の世界リレーでもいい結果を残している1走での起用。日本陸連の土江寛裕・短距離ディレクターの思惑としては、前半を上位でいく日本チーム王道のレースをしたいという考えがベースにあった。そのうえで、2走に固定することを公言していた柳田大輝(東洋大)が7月のダイヤモンドリーグ(DL)・ロンドン大会で思うような走りができていなかったこともあり、サニブラウンからのバトンの受け渡しで加速に乗ってどういう走りをするか試したいという意図もあった。

 だが、サニブラウンは期待どおりに全体1番のラップタイム(10秒32)で走り、「バトンは少しもたついた」と振り返るが、2走・柳田のラップタイムは9秒31と伸びず、8秒台で走ったアメリカやイギリスに抜かれて4番手に落ちてバトンパス。3走の桐生祥秀(日本生命)が2番手まで盛り返したが、4走の上山紘輝(住友電工)がイギリス、南アフリカとの競り合いで少し遅れて38秒06で組4着。決勝ではシードレーンを獲得することができず、カーブのきつい内側の3レーンを走ることになった。

 この結果を受けコーチ陣が決断したのが、調子の上がらない柳田をメンバーから外すこと、そしてサニブラウンの走順について本人の意志を確認することだった。

「彼の選択肢は1走、2走、4走だったが、彼が2走でいきたいとなったのでそこにした。1走には、予選は起用しなかったがスペシャリストの坂井隆一郎(大阪ガス)がいるという理由もあった。ただ、3走と4走は、変えてしまうとすべてを手術することになるし、我々の方針としてもきちんと準備をしたオーダーでいきたいというのがあったので、そのままにしました」と土江ディレクターは説明する。

 サニブラウンの2走起用は、土江ディレクターがもともと東京五輪で描いていた構想だった。サニブラウンが4走として初めて4継メンバーになった2019年世界選手権が終わった時点で、土江ディレクターはそれについて公言し、本人にも伝えていた。

 だが東京五輪は、サニブラウンがヘルニアの影響もありリレーに起用できず。昨年のブダペスト世界選手権でもパリ五輪に向けて試しておきたかったが、個人の100mで決勝に進んだあとで体調が悪化し起用できなかった。

 今回のパリ五輪では、柳田が万全だった場合の金メダルを狙うオーダーは、坂井、柳田、桐生、サニブラウンだったが、結果として土江ディレクターがこれまでやりたかったサニブラウンの2走起用が急遽、この大会で実現することになった。

 その決定は決勝前夜の8時のミーティングで選手たちに伝えたこともあり、全くのぶっつけ本番。土江ディレクターは、その決断の背景を説明する。

「直前のウォーミングアップでバトンを合わせるだけでレースに臨むというのは、自分が20年近くコーチをやっていて初めてのこと。日本にいるスタッフを含めてみんなで議論して3~4パターンを検討したが、バトンの組み合わせ(走順)を新しく作るデメリットと、ハキームが走りやすいメリットを合わせれば、そのほうがプラスになると判断しました」という。

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著者プロフィール

  • 折山淑美

    折山淑美 (おりやま・としみ)

    スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。

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