競歩・池田向希の前に大きな壁。世界選手権の金メダル獲得には打倒・山西利和が必要 (3ページ目)
その世界選手権で優勝した山西の壁は、その後もなかなか破れず、20年と21年の日本選手権は1時間17分台を安定して出すようになってきた山西に対し、1分以上の差をつけられて2位と3位という結果だった。しかし、21年東京五輪では、山西に先着して2位という結果を出したのだ。
その東京五輪で、指導する東洋大の酒井瑞穂コーチは「自分が決めたことをきっちりやれる真面目な性格で、同じことを何年も続けられるタイプ。ドーハの世界選手権はメダルに届かず悔しがっていたが、ああいう厳しい環境にも対応できたことが自信にもなったのだと思う」と話していた。
だが、それで壁を突破できたわけではなかった。22年7月の世界選手権では、最初の3kmはひとり飛び出して後続の様子をうかがい、17km過ぎからは山西とふたりのマッチレースに持ち込んだ。そして3分50秒にまでペースが上がるなか、18km過ぎには一度前に出て仕掛けたもののしっかりつかれ、最終周回を3分41秒でカバーした山西がラスト250mで池田を突き放して7秒差で優勝という結果になった。
「山西さんがああいうレースをするのはわかっていたので、その差を10秒以内に抑えつつ平常心で自分のレースをしてジワジワ追いつくという作戦でした。ラスト3kmで山西さんが上げた時も対応できたので、ラスト2kmから『ここはチャンスかな』と思って仕掛けたが、そこで行ききれなかったのが敗因。うれしさ半分、悔しさ半分です」と話していた。
対等に勝負はできたが、敗れた悔しさは大きかった。
池田の強みは、他の選手より足の回転が速い上に、足のさばきが柔軟で反則を取られにくい動きができることだ。そんな彼が打倒・山西のためにこの冬に取り組んだのが、歩型のさらなる改善だった。今回の日本選手権でも高橋が16km過ぎから池田から離れた理由を、「注意のパドルが4回出ていたので、少し離れて歩きたいと思っていた」と語っていたように、一般的に選手は歩型に不安が出ると勝負できなくなるからだ。
その成果を「注意もゼロ」という結果で確認した池田。今後は8月の山西との対決へ受けて勝つための戦略をいろいろ考え、自分のものにすることを課題にして取り組んでいくための第一段階のステップを、この日本選手権で踏めた。
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