偉大な父からの「俺を超えられるものなら超えてみろ」に奮起し早期卒業した市田龍生都 デビュー開催決勝は9車身差で圧勝 (2ページ目)
ゴール線付近。後続選手をカメラで捉えられないほどの圧勝だった photo by Takahashi Manabuこの記事に関連する写真を見る
【父にあこがれ競輪選手の道へ】
ファンの度肝を抜く走りでデビュー開催を終えた市田。そんな怪物級のルーキーを語るうえで欠かせないのが、父・佳寿浩の存在だ。佳寿浩はGⅠ制覇の実績を誇り、病気やケガから何度も復帰し長年活躍し続けたことから「不死鳥」の異名を持つ記憶に残る選手だった。
市田はそんな父の背中を見て育った。物心ついたころにはすでに競輪選手として活躍していたが、当時は「競輪が職業だとすら思っていなかった」という。
「お父さんが運動会で自転車に乗っていろんな人と競走をしているという感覚でした。それでなんでお金を持って帰ってくるんだろうと思っていました」
父が競輪選手だと認識したのは、小学校高学年のころ。学校の先生から「市田くんのお父さんは競輪選手だからすごいね」と言われたときには自分のことのようにうれしく、「お父さん、すごい、かっこいい」とあこがれを抱いていた。
市田は、小学校時代は水泳、中学校時代は陸上競技に励んでいたが、中学3年から自転車競技を始めた。バンクを走る父にあこがれて育った市田にとって、それは自然な流れだった。高校から自転車競技部に入り、インターハイの1kmTTで2連覇を達成するなどすぐに頭角を現す。進学した大学でもインカレでチームスプリント、ケイリン、1kmTTを制する3冠を2年連続で獲得するなど結果を出した。その間ずっと「自転車が楽しい」という思いで続けてきた。
2 / 5