【平成の名力士列伝:若の里】気力は最後まで衰えず−−体力の限り土俵を務め続けた生粋の「お相撲さん」
23年半、叩き上げ力士として土俵に上り続けた若の里 photo by Jiji Press
平成とともに訪れた空前の大相撲ブーム。新たな時代を感じさせる個性あふれる力士たちの勇姿は、連綿と時代をつなぎ、今もなお多くの人々の記憶に残っている。
そんな平成を代表する力士を振り返る連載。今回は、39歳まで真っ向勝負を貫いた若の里を紹介する
連載・平成の名力士列伝12:若の里
【真っ向勝負を再決意したファンからのひと言】
中学卒業間際の15歳で青森県から上京して角界入りした若の里は、"たたき上げ"力士として23年半もの長きにわたり土俵を務めた。常に真っ向勝負の相撲ぶりや気品溢れる佇まい、土俵態度は、いかにも「お相撲さん」らしいお相撲さんだった。
出身地の青森県弘前市にある実家は、"土俵の鬼"と言われた横綱・初代若乃花の生家とわずか200メートルほどの距離で、入門時の師匠である鳴戸親方(元横綱・隆の里)は、その弟子にあたる。四股名の「若の里」は若乃花と隆の里という青森が生んだふたりの横綱に由来するが、それだけ期待は大きかった。
入門から5年半の平成9(1997)年11月場所、関取に昇進すると10勝5敗で新十両優勝。十両はわずか3場所で通過し、新入幕の平成10(1998)年5月場所は、2ケタ勝ち星をマークして敢闘賞を受賞した。さらに入幕4場所目の同年11月場所は、横綱・3代目若乃花を破って初金星を獲得するなど、破竹の勢いだったが、その2日後に右足首を骨折。この場所と翌場所を休場した。
完治を待たずに稽古を再開したことから、反対の左足に負担がかかってしまい、稽古中に左ヒザの前十字靭帯を断裂。まともに相撲が取れる状態ではなかったが、十両転落を回避するため、痛み止めを打ちながら強行出場を果たし続けた。
当然、本来の力強い相撲には程遠く、前頭2枚目で迎えた平成11(1999)年7月場所は初日から6連敗。10日目の相撲で左ヒザをさらに悪化させると、翌日の土佐ノ海戦では、立ち合い変化を試みるもあっけなく相手についてこられ、押し出された。無様な相撲に師匠からは、雷を落とされた。気分転換にとその日の夜は近所の寿司屋に出向くと、同じカウンターで寿司を食べていた初老の男性がこちらに近寄ってきた。
「私は、あなたの大ファンなんです。立ち合いは常に真っ向勝負で、変化しないところが大好きなんです」
そう告げると、席に戻っていった。おそらく男性はこの日の若の里の相撲は、見ていなかったに違いない。当の本人はなおさら変化したことを恥じた。同時に「もう二度と立ち合い変化はしない」と強く心に誓い、この日から正々堂々の立ち合いを引退する日まで貫くことになる。
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著者プロフィール
荒井太郎 (あらい・たろう)
1967年東京都生まれ。早稲田大学卒業。相撲ジャーナリストとして専門誌に取材執筆、連載も持つ。テレビ、ラジオ出演、コメント提供多数。『大相撲事件史』『大相撲あるある』『知れば知るほど大相撲』(舞の海氏との共著)、近著に横綱稀勢の里を描いた『愚直』など著書多数。相撲に関する書籍や番組の企画、監修なども手掛ける。早稲田大学エクステンションセンター講師、ヤフー大相撲公式コメンテーター。