パリオリンピックカヌー日本代表・羽根田卓也が競技を通して学んだ「迷うことの無意味さ」
カヌー・スラロームの第一人者である羽根田卓也。2008年の北京五輪出場を皮切りに、続いて2012年ロンドン五輪にも出場。3度目となる2016年リオデジャネイロ五輪ではカヌー競技においてアジア人初となる銅メダルを獲得。その後東京五輪出場、そして自身5大会連続5度目となるパリ五輪では予選を通過し、準決勝へと駒を進めた。そんな羽根田のカヌー人生と今後の取り組み、そしてプライベートで嗜むという"あの趣味"について聞いた。
前編を読む>>パリオリンピック・カヌーに挑む羽根田卓也 5大会連続5度目となる五輪は「新しい形に」
カヌー・スラロームセンターで練習する羽根田卓也 photo by Kanta Matsubayashiこの記事に関連する写真を見る
――羽根田選手が言語もわからないスロバキア(カヌーの強豪国)に単身渡ったのが、高校卒業後18歳の時。その時の経験が今でも役に立っていると感じることはありますか?
羽根田(以下同)「『やってやれないことはない』ということ。大体のことはやればできるという根拠のない自信がつきました。毛沢東の革命の条件じゃないですけど、『若いこと、貧しいこと、無名であること』の3つの条件が、当時は全部揃っていたと思います。そうじゃないとスロバキアに行かなかったと思います。
メダルを獲ることだけじゃなくて、スロバキア語を覚えるとか、スロバキアで大学と大学院に行くこと、一つひとつ困難を乗り越えた結果、それが自分にとって成功体験として積み重なり、根拠のない自信の立証になっていました。そういったことを挑戦させてくれる環境があったのは、すごく貴重なことだったと感じます」
――ところでカヌーは精神的な部分にかなり左右されるスポーツだと思いますが、日頃からメンタル的に心がけていることはありますか?
「心がけているのは『自分がコントロールできないものには執着しない』ということ。カヌーは水の流れに再現性がまったくないので、自分でコントロールできないんです。だから、そこにこだわり続けるのって精神的にすごく辛いし、時間の無駄にもなります。
カヌー競技をやっている人たちには『水の流れに逆らってはいけない、水と喧嘩してはいけない』という共通のフィロソフィーがあるんです。そういった自分のコントロールできないものに執着して、そこに一喜一憂するのはどうなのかなと。迷うことの無意味さみたいなものに気が付いたので、僕はあんまり執着しないように心がけていますね」
1 / 3