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アントニオ猪木を撮り続けて半世紀。そばにい続けたカメラマンが明かした「最後の闘魂」 (2ページ目)

  • 原悦生●文・写真 text & photo by Hara Essei

国会議員になった猪木は精力的に世界を飛び回り、キューバのフィデル・カストロ議長とも酒を飲み交わして友人になった国会議員になった猪木は精力的に世界を飛び回り、キューバのフィデル・カストロ議長とも酒を飲み交わして友人になったこの記事に関連する写真を見る 1988年1月、実際に訪れたコロッセオで猪木さんは「血の匂いがする」と言った。私のなかで、プロレス中継で猪木さんの登場時にアナウンスされていた「古代ローマ、パンクラチオンの時代から強い者は人々の憧憬を集めました......」のフレーズがよみがえってきた。猪木さんがコロッセオでその脳裏に浮かんであろう対戦相手が誰だったのかを、語ったことはない。それでも、私は夢のなかに出てきた物語のその先を考えていた。

 猪木さんは何も言わずに私の話を聞いていた。

猪木に国境はなかった

 1976年6月26日に日本武道館で行なわれた「猪木vsアリ」は特別なものだった。まだ、学生だった私は、その空間にいられたことを本当に幸運だったと思っている。

 それから1年数カ月が過ぎて、猪木さんとのおつき合いが始まった。猪木さんはその時のことは「覚えてないなぁ」と言った。それは当然だ。そのへんの学生が緊張してあいさつしただけ......なのだから。

「いつの間にかいたなぁ」と、猪木さんは私に言った。

 私はアントニオ猪木を追い続けた。

 政治の世界に入ってからも猪木さんに国境はなかった。地球レベル、もしくは宇宙レベルの思考と活動が続いた。世界平和友好、食料危機、エネルギー問題、ゴミ問題。人類が直面しているテーマを掲げて真摯に政務に取り組んだ。

 私たちの世代はアントニオ猪木を忘れることはない。

「また旅に行きたいなあ」と猪木さんが言った。

「パラオですか? アメリカですか?」
「何食べます? ホットドッグにしますか?」

 猪木さんは首を振った。

「じゃあ、アイダホのアップルパイにしますか?」

 猪木さんは小さな笑みを浮かべた。

少しでも元気な姿を見せたいよ

 強靭な肉体と精神力を持った男も、「思いがけない」病魔と戦うことになったが、必死に生きようとしていた。だが、この戦いも最終局面を迎えようとしていた。

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