ジャイアント馬場が立案。幻の計画
「三沢と川田でタイガーマスク兄弟」 (2ページ目)
相手の技を受けることで、攻防のすごさを観客に伝えるプロレスにおいて、受け身は白熱の試合を形作る"生命線"でもある。馬場が「いい受け身かどうか」を判断する上で重視していたのは、マットに叩きつけられた時の「音」だったという。
「馬場さんが受け身のうまさを判断する技は、ボディスラム、ショルダースルーといった、投げる相手から離れて自分ひとりで受け身を取る技でした。そういった技でマットに叩きつけられた時の音が、"ドンッ"とひとつでなくてはいけない。"ド、ドンッ"と音が分散した受け身を聞くと、馬場さんは『下手くそだなぁ』と顔をしかめていました(笑)。
音が分散すると、お客さんには技の威力は半減したように聞こえるんです。それが、"ドンッ"と音がひとつだと、リングも壊れるような技の迫力と威力がストレートに伝わるんですよ。ただ、これは本当に難しいんです。投げられた時は背中と腕と足がマットに付きますから、どうしてもバラバラになって音が分散してしまう。だから馬場さんは、よく『一枚の板が落ちるように受け身を取れ』と言っていました。
受け身でひとつの音を出すには相当な練習が必要なんですけど、馬場さんはそれができなければ選手をデビューさせませんでした。とは言っても、ひとつの音だけの受け身を取る選手はほとんどいなかったので、"それに近い音が出せるようになったら"という感じでしたけどね。なので、当時の全日本は、デビューまで1年ぐらいかかったんです」
ただ、唯一の例外が三沢光晴だった。栃木の足利工大付属高時代にレスリング部で活躍した三沢は、卒業後の1981年3月に全日本に入門した。
「全日本に入った当初から、三沢はひとつの音だけの受け身ができました。誰も教えていないのにできたので、あれは天性だと思います。馬場さんは、デビューする前の練習生だった三沢の受け身を見た時に『オォー』と驚いていました。のちに天龍(源一郎)さんも『三沢にはかなわないな』と脱帽していましたよ」
天性の受け身の技術を持っていた三沢は、入門からわずか5カ月後にデビューを果たした。
「控え室にいる馬場さんが、受け身の音だけを聞いて『今、試合をしているのは三沢だな』ってわかったくらいですからね。その音を聞いた時、私に『京平、よく聞いてみろ。音はひとつだろ。三沢はやっぱりうまいなぁ』と目を細めていました」
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