ケニー・オメガが吠える
「オカダ・カズチカはオレの80%だ」

  • 尾崎ムギ子●文 text by Ozaki Mugiko
  • photo by ©新日本プロレス

「自分へのフラッシュ音がほとんど聞こえてこない」――。ケニー・オメガはG1 CLIMAX直前の記者会見で言った。そうかもしれなかった。G1 CLIMAX、26年の歴史の中で、外国人選手が優勝したことは一度もない。しかし、ケニーは優勝した。外国人選手が新日本プロレスのトップに立てることを、自ら証明したのだ。

 カナダから単身、日本にやってきたのが8年前。勉強熱心で、いまでは日本語を流暢に話す。漢字の読み書きもできる。世界トップレベルの実力を持ちながら、ケニーはなぜ日本にこだわるのか。軌跡を辿った。

外国人として初めてG1 CLIMAXを制したケニー・オメガ外国人として初めてG1 CLIMAXを制したケニー・オメガ カナダのマニトバ州ウィニペグ出身。幼少の頃、父と祖父の影響でプロレスが好きになった。日本という国は知っていたが、日本になにがあるかはまだ知らなかった。ゴジラは本当に生きていると思っていた。

 日本に行きたいと思ったのは、12、13歳のとき。好きなゲームやアニメが日本から来たものだと気づいた頃だ。それまでプロレスといえばWWEしかないと思っていたが、初めてWWEでTAKAみちのくを見て、日本にもプロレスというものがあるのだと知った。ビデオテープで日本のプロレスを見始め、いつか日本に行きたいという思いが強くなった。

 18歳でプロレスデビューし、2006年、WWEと契約。しかし1年で離脱する。

「ビジネスとか、プロレスのやり方が面白くなかったんだ。プロレスが嫌いになったよ。カナダでのAJスタイルズ戦を最後に引退しようと思っていた。でもその試合が楽しくて、もう一度最初からプロレスを勉強しようと思ったんだ。今度はWWEのキャラクターじゃなく、本当の自分でプロレスをやろう。もしそれがダメなら引退する。そういう気持ちだった」

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