【ハイキュー‼×SVリーグ】デンソー大﨑琴未が学んだ「できるまでやる」精神と「この1点のため」に担う責任
デンソーエアリービーズ 大﨑琴未
(連載5:埼玉上尾の岩澤実育は「地味な動き」でチームを助ける 『ハイキュー‼』で刺さったのは顧問の言葉>>)
(c)古舘春一/集英社この記事に関連する写真を見る
「"バレーボールは難しいな"っていうのが、最初の記憶です」
彼女は言うが、その感覚には中毒性があった。できなかった難しいことを、できるようになる。その喜びに次第に囚われていった。
小学5年からバスケットボールと掛け持ちでバレーボールを始めたが、もともとバスケをしていたことで戸惑った。レイアップとスパイクを打つための足の運びや踏み切りが違うため、頭の中が混乱した。しかし練習を続けることで、感覚を掴んでいった。
大﨑琴未は、成長を感じられることに充実感を覚えた。
中学2年の時、ツーセッターのセッターでプレーした際もそうだった。セットも楽しいし、スパイクも楽しい。プレーのセンスがあったのだろうが、とことんバレーにハマっていった。
名門の下北沢成徳高では、「地獄のトレーニング」と言われるメニューも乗り越えた。フィジカルトレーニングは、他校とは比べ物にならないほど厳しい。グラウンド周回では、それぞれのタイムが張り出される。だから、少しもサボれない。当時は部員同士が意見を出し合って切磋琢磨する環境で、「本気で走ってる?」とも言われることもあるなど、常に全力を出し切ることを求められた。
大﨑は、そこで愚直に頑張ることができた。その真摯さが、彼女の大事な才能のひとつなのだろう。
「ミドルブロッカーは、ある責任を担うポジションだと思っています」
大﨑は朗らかな声で言う。
「他のポジションと比べて、ボールに触る時間は少ないと思うんです。でも、ミドルのブロックが上手いか下手か、目立たないプレーができるかどうかで、チームの連係が変わってくる。少しでもサボると、後ろは拾えません。ブロックにいっても、手の出し方やタイミングが少しでも違うと、変なところにボールがいって取れない。後ろの人に気持ちよくレシーブさせられるように、一本の軸になれるかどうか、ですね」
全神経を集中させて戦い切る流儀だけに、代償を払うこともある。
今年、大﨑は左手首の手術をした。実は約1年半、痛みを抱えたまま戦ってきたという。最後は、折れてしまった骨の代わりに、偽の骨(偽関節)が突き出るところまでいっていた。
1 / 3
著者プロフィール
小宮良之 (こみやよしゆき)
スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。