錦織圭は日本代表で葛藤していた「自分が出ていいのか」...でも、満員の有明コロシアムで幸せを味わいたかった

  • 内田暁●取材・文 text by Uchida Akatsuki

「今回もちょっと、自分のなかでは葛藤がありました」と、彼は言った。

 9月14日・15日の2日間にかけて有明コロシアムで行なわれたテニスの国別対抗戦「デビスカップ」日本vsコロンビア戦。その日本代表の一員として、実に8年ぶりに勝利を手にした錦織圭の、会見での発言である。

日本代表の一員として久々に母国でプレーした錦織圭 photo by AFLO日本代表の一員として久々に母国でプレーした錦織圭 photo by AFLOこの記事に関連する写真を見る 錦織が長く日本代表から離れていたのは、ひとつにはケガなど体調面の理由が大きい。同時に最近では、「自分がデ杯(デビスカップ)に出ることがいいことなのか?」との懸念もあったと打ち明ける。

「今、若手が育ってきて、(望月)慎太郎だったり、まだちょっと早いけれど坂本怜や本田(尚也)くんだったり、そういう選手に経験させてあげたほうがいいのもあるだろうし......」

 その一方で「日本が勝つための力に自分がなれたら、それはそれで、もちろんうれしい」との願いも強めていた。

 しかも現在、代表監督として采配を振るうのは、かつての盟友である添田豪。また錦織自身、「日本テニスの聖地」こと有明コロシアムのファンの前で日本代表として最後にプレーしたのは、2016年までさかのぼる。

「やはり、デ杯のこの緊張感のなかで試合ができるのは、経験値としても大きい。久しぶりに日本で戦える幸せを......その気持ちを味わいたいなという部分もあった」

 それらふたつの思いがせめぎ合った末に、勝ったのは後者の切望。日本で試合ができる幸せを、そして添田監督を筆頭とする日本の仲間たちとともに戦える喜びを求め、錦織は8年ぶりに満員のファンが待つ有明コロシアムのコートに立った。

 360度、8,780人の観客で埋め尽くされたスタンドは、錦織にとって既視感漂う懐かしい景色。同時に、脳裏に焼きつくその景色こそが、ケガで戦線を離れていた間、錦織を再びコートへと駆り立てた熱源でもあったという。

「ケガをしている時、もう一度、こういう場で試合をしたいなというのは心にあった。それがひとつのモチベーションにもなっていた」

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著者プロフィール

  • 内田 暁

    内田 暁 (うちだ・あかつき)

    編集プロダクション勤務を経てフリーランスに。2008年頃からテニスを追いはじめ、年の半分ほどは海外取材。著書に『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)、『勝てる脳、負ける脳』(集英社)など。

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