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円盤投げで優勝、高校卒業後に単身NZ、20歳でプロ契約...異色のラガーマン・メイン平はワールドカップをあきらめない

  • 斉藤健仁●取材・文 text by Saito Kenji
  • 甲斐啓二郎●撮影 photo by Kai Keijiro

ラグビーワールドカップ2023「Road to France」<04>
メイン平(リコーブラックラムズ東京)後編

◆メイン平・前編>>「日本代表でもひとりだけポテンシャルが違っていた」

「花園」で活躍した高校生ラガーマンは、そのほとんどが日本の強豪大学からスカウトされて進学する。奈良・御所実業高のメイン平も高校1年生の時、圧巻のプレーでチームを準決勝まで導き、大学ラグビーファンの注目を一気に集めた。

 しかし彼が選んだのは、父の母国であるニュージーランド(NZ)。スーパーラグビーでのプレーを夢見て、単身で海を渡った。

 王道を歩まず、険しい道を選んできた22歳の若者が描く、今後のビジョンとは──。

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メイン平●2000年9月5日生まれ・宮崎県宮崎市出身メイン平●2000年9月5日生まれ・宮崎県宮崎市出身この記事に関連する写真を見る── メイン選手は奈良・御所実業高から日本の大学に進学せず、ニュージーランドでのチャレンジを選びました。

「ニュージーランド・ウェリントン出身の父は、昔ラグビーをちょっとやっていました。小さい頃の憧れはオールブラックスのWTB(ウィング)ジョー・ロコゾコやWTBダグ・ハウレットでした。

 僕も小学生の頃、ニュージーランドで1年くらい生活していましたし、その後もちょくちょく行っていたので英語も問題なかった。なので、高校卒業後はニュージーランドで生活して、スーパーラグビーでプレーしたいと考えました。同時に高校時代、ある強豪大学の練習を見にいって『これを毎日はできないな......』とも思いましたし(笑)」

── 大学ラグビーの練習はハードですからね(笑)。

「もちろん、ウェリントンを本拠地とする(スーパーラグビーの)ハリケーンズへの憧れが強かったからですよ! 最後は母の『チャレンジしてこい!』という言葉で決めました。

 ただやっぱり、現実は厳しかったです......。ニュージーランドで実績もない若手がいきなりポツンと向こうに行っても、誰も見てくれないというか。高校から上がってきた現地で有名な選手が評価されて、僕にチャンスは回って来なかった。2年目はノースランド州代表のセレクションには呼ばれましたが、そこでもいいパフォーマンスを出すことはできなかった」

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著者プロフィール

  • 斉藤健仁

    斉藤健仁 (さいとう・けんじ)

    スポーツライター。 1975年4月27日生まれ、千葉県柏市育ち。2000年からラグビーとサッカーを中心に取材・執筆。ラグビーW杯は2003年から5回連続取材中。主な著書に『ラグビー『観戦力』が高まる』『世界のサッカーエンブレム完全解読ブック』など多数。

【写真・画像】ラグビー界の女神・桑井亜乃さんの撮り下ろしフォトギャラリー(写真27枚)

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