5人制でも「山本麻衣」から「マイ・ヤマモト」へ......女子バスケ、パリ五輪出場の立役者が目指すさらなる高み
各世代で日本一を経験してきた山本麻衣 写真/トヨタ自動車提供この記事に関連する写真を見る
山本麻衣インタビュー(後編)
前編「パリ五輪女子バスケ世界最終予選MVP・山本麻衣が振り返る、あのプレー」はコチラ
ハンガリーで行なわれた女子バスケットボールのオリンピック世界最終予選(以下、OQT)。1位で大会を終え、MVPにも選ばれた山本麻衣の身長は163cm。けっして大きくない。むしろ世界の舞台に立てば、小さいほうから数えたほうが早い。しかも24歳。大きいほうが有利と言われるバスケットで、しかも経験の有無も差になると言われるバスケットで、小さくて若い彼女が、なぜ、あそこまでの結果を残せるのか。日本の山本麻衣が世界の「マイ・ヤマモト」になるまでの軌跡を聞いた――。
【各世代日本一でも心残りが......】
――お父さん(健之さん)はバレーボールの元日本代表で、お母さん(貴美子さん)もバスケットボールの元実業団選手。お姉さんもバスケット選手ですし、弟さんは甲子園に出場した経験があります。いわゆるスポーツ一家に生まれて、バスケットボールを始めたのは、いつからですか?
「小学校1年生からです。最初はバレーボール教室に行ったんですけど、『じゃあ、次はバスケットをやってみる』と言い始めて、バスケットを始めました」
――それが中学校は愛知県の学校に進みますね。どういう経緯だったのしょうか?
「2つ上の姉が中学に上がるとき、『強豪校でバスケットがしたい』と言って、家族みんなで愛知県に移り住むことになったんです。その1年前くらいかな、家族で、結果として私も入学することになる津島市立藤浪中学校に見学に行ったんですけど、その時にミニバスケットボール(小学生のバスケットボール)では全国的な強豪チームである昭和ミニバスケットボールクラブを紹介していただいて、昭和ミニバスから藤浪中へという流れですね」
――その後は高校バスケット界の名門、桜花学園にも進学します。小学生の頃からバスケットがうまくなりたい、あるいは強豪チームでプレーしたいという気持ちが芽生えてきていたのですか?
「実際に愛知県に引っ越すことになってからは、強豪チームでプレーすることの魅力も感じていたんですけど、昭和ミニバスの体験練習をさせてもらった時に、もちろん周りの子たちはうまいけど、どこかで"全部は負けてないな。自分でもできるな"と思っていました」
――そこから小、中、高、そしてWリーグを含めた各世代で日本一を経験しています。そう聞くと、山本選手はどこかエリート選手だと思われがちですが、それについてはどう感じますか?
「小学6年生の時を除いて、藤浪中でも、桜花学園高でも全国優勝を果たしたのが2年生の時で、自分の代では優勝していないんです。やはり自分の代で、自分の力で優勝させたいという気持ちは常に持っていました。結果として日本一にはなっていますし、主力メンバーには入っているけど、いつも、先輩たちがいてこその優勝だと......もちろん自分の代でもチームメイトがいなければ勝てないけど、当時は先輩たちに優勝させてもらったという思いのほうが強いです」
――トヨタ自動車に入社してからも、着実にステップアップして、3年前(2020-2021シーズン)と2年前(2021-2022シーズン)でWリーグを連覇しています。山本選手も中心選手だったと思いますが、そこは自分の力ではない?
「2回目の優勝のときは、そうした自負もありますが、1回目のときはまだですね」
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著者プロフィール
三上 太 (みかみ・ふとし)
1973年生まれ、山口県出身。2004年からバスケットボールを中心に取材・執筆をする187センチの大型スポーツライター。著書に「高校バスケは頭脳が9割」(東邦出版)、共著に「子どもがバスケを始めたら読む本」、「必勝不敗 能代工バスケットボール部の軌跡1960-2021」(いずれもベースボール・マガジン社)があり、構成として「走らんか! 福岡第一高校・男子バスケットボール部の流儀」(竹書房)がある。