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【F1】角田裕毅がF1昇格を決めたのはF2最終戦 土壇場でポールトゥウィンを決める天性の底力 (2ページ目)

  • 米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki

【ホンダのF1撤退は知っていた】

── この2020年の活躍で、角田選手はスーパーライセンスを取得する基準を満たし、2021年のF1デビューにつなげました。レッドブルとの話し合いのなかで、角田選手のF1昇格が具体性を帯びてきたのは、いつ頃だったのでしょうか?

「開幕早々にあんな調子だったから、僕はこの時とばかりに(ヘルムート・)マルコさん(レッドブル・モータースポーツアドバイザー)に『今年、スーパーライセンスが取れたら、来年アルファタウリで走らせましょう!』って言って最初に約束したんです。

 僕のなかでは、夏頃からF1昇格としか思っていなかったですね。ライセンスが取れるか取れないかじゃなく、『ライセンスを取ってF1に行こうぜ!』くらいの勢いでした。

 あの時はもう、2021年末でホンダがF1から撤退することが決まっていて、そのことを僕はすでに聞いていました。2020年の10月に発表することになるんですけど、だからこそ何が何でも角田をF1に乗せたかったし、マルコさんとはその話ばかりでした」

── やはりドライバー人事や育成に関しては、マルコさんとの話し合いが中心だったのでしょうか。

「当時はマルコさんがすべてを決める権限を持っていましたから。クリスチャン(・ホーナー/レッドブル代表)やフランツ(・トスト/アルファタウリ代表)が何を言おうと、僕とマルコさんで決めたことはすべてそのとおりになりました。

 何かあればマルコさんに連絡するし、そうすればマルコさんはすぐに動くし、そうするとすぐに(何かが)変わります。そういうマルコさんの力をうまく使って、角田にとって動きやすい環境を作ってあげるというのが大きかったと思います。もちろん、最終的には本人の努力ですが」

── しかし、シーズン中盤戦はカーリンも苦戦を強いられ、スーパーライセンス取得はなかなか決めきれませんでした。

「あの年はコロナの影響で、最後にバーレーンで2週連続開催だったんですけど、実は1週目のバーレーン(ライセンスポイント40点)でスーパーライセンス取得が確定したら、最終戦アブダビGPのFP1で角田をアルファタウリに乗せようと、マルコさんと約束していたんです。

 でも、フランツはものすごく反対していました。『FP1じゃなくて、テストで走らせればいいじゃないか』と。ただ、角田は予選でスピンして最後尾からのスタートになってしまったので、ライセンス獲得が決められなかった。

 FP1の話は本人にまだ伝えていなかったと思うけど、スーパーライセンス取得のプレッシャーもあったのでしょう。最終ラウンドでがんばるしかなくなってしまって、ライセンス取得とF1昇格自体もかなり追い込まれた状況になってしまいました」

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