【F1】「角田裕毅がダントツ」2018年の育成プログラムで「一番いいドライバー」と現場の皆が答えた (3ページ目)
【ホウレンソウができない】
── 角田選手自身も周りの人間が「応援したい」と思わせる、人懐っこさみたいなものがあります。レッドブルとのタッグもあって、ホンダがそういった育成環境を整えたちょうどいい時期というか、タイミングの妙というのもあったんですね。
「もともと角田は人懐っこくて、可愛がられる人柄だけど、ホウレンソウ(報告・連絡・相談)みたいな大人とのコミュニケーションはまったく身についていなかったから、最初の頃は担当者が『連絡が来ない』ってよく怒っていました。
だから、こちらも連絡がなければ自宅まで行ってみたり、メールが返ってこなければ電話をしたりして。まだ右も左もわからない状況のなかで、角田自身も周りの大人たちとのコミュニケーションをこの時期に身につけていったと思います。それがF3に参戦したヨーロッパ初年度だったように思います」
── 英語中心の生活にも、あっという間に溶け込んでいきました。
「当初から英語がペラペラだったわけではなかった。だけど、中学・高校でインターナショナルスクールに行っていたから、英語に対する拒否反応がなかったんですよね。
英語に拒絶反応を示してしまう日本人ドライバーもいます。しかし、話せなくても適応していこうという姿勢があるのとないのとでは、全然違うんです。そこにある違いは言葉というか文化の違いで、自分とは違う文化に飛び込んでいけるかどうかなんですよね。
その国や、そのチームの文化に入っていかないと、この世界で戦っていくのは無理なんです。角田には、そういうオープンな姿勢があったのがよかったんだと思います」
(03につづく)
【profile】
山本雅史(やまもと・まさし)
1964年3月15日生まれ、奈良県出身。高校卒業後の1982年、本田技術研究所(Honda R&D)に入社。2016年、マネージメントの手腕を買われてホンダ本社のモータースポーツ部長に就任。2019年にF1担当マネージングディレクターとなり、2020年のアルファタウリ優勝や2021年のレッドブル・ドライバーズタイトル獲得に貢献。2022年1月にホンダを退職し、現在はMASAコンサルティング・コミュニケーションズ代表を務める。
著者プロフィール
米家峰起 (よねや・みねおき)
F1解説者。 1981年1月31日生まれ、兵庫県出身。F1雑誌の編集者からフリーランスとなり2009年にF1全戦取材を開始、F1取材歴14年。各種媒体に執筆、フジテレビNEXTやYouTube『F1LIFE channel』での解説を務める。
【写真】F1ウィリアムズ育成ドライバー・松井沙麗(当時13歳)インタビューカット集
3 / 3