検索

モウリーニョはなぜ通訳から一流監督になれたのか 目の前の人間の心を震わせる「言葉の力」 (3ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Yoshiyuki Komiya

 筆者も一瞬、心地よい催眠にかかった感覚があったからこそ、それが少しはわかる。

 モウリーニョは、自らが感情の塊となって集団を率いることができた。彼自身、とても業(ごう)が深いのだろう。その人間味によって、選手の心と接続できたのかもしれない。

 後年、モウリーニョはバルセロナのスペクタクルなサッカーを否定し、ヨハン・クライフのアンチのように振る舞うようになったのだが、実はこんな話をもらしていた。

「自分はスペクタクルなフットボールを目指している。クライフと飛行機で同乗した時、彼の意見をうかがったんだ。そして自分の考えが正しいという確信を得た」

 モウリーニョはバルサのサッカーに愛情を抱いているようだった。しかし、チェルシーを率いるようになってバルセロナと対戦した時には、かつてバルセロナで通訳兼コーチとして過ごしたことをメディアに揶揄された。ファンにも「通訳の分際で......」という悪辣な評価を受け続けた。

 それによって、バルサへの憧れは憎しみに代わった。敬愛していたクライフがモウリーニョのサッカーをこき下ろしたことも、憎悪の火にガソリンを撒くことになったという。

 たぶん、モウリーニョの業にまみれたようなマネジメントは、並の人間には真似できない。たいてい、自らが破滅してしまうだろう。それだけ特別だった。一方でモウリーニョには、自分で自分を演じるようなリーダーの特性があった。

 ひとつだけ言えるのは、筆者はその後、選手と並走するようにノンフィクションを書き上げ、それに基づいたフィクションまで作品化することができた。
(つづく)

ジョゼ・モウリーニョ
1963年、ポルトガル・セトゥーバル生まれ。ポルトガル2部でプレーしたが、プロ経験はない。現役引退後、体育の教師やユースチームの指導者を経て、ボビー・ロブソンの通訳としてスポルティングのスタッフ入り。バルセロナでも通訳やアシスタントコーチを務め、2000年、ベンフィカの監督に就任。その後、ポルト、チェルシー、インテル、レアル・マドリードなどを指揮し、多くのタイトルを獲得する。2026年、再びレアル・マドリードの監督に就任。

著者プロフィール

  • 小宮良之

    小宮良之 (こみやよしゆき)

    スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。

3 / 3

登録は簡単! チェックを入れてボタンを押すだけ 詳しくはこちら

キーワード

このページのトップに戻る