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【Jリーグ】「日本のスパイ」と呼ばれて...韓国人Jリーガー第1号・盧廷潤が人知れず抱えていた葛藤 (3ページ目)

  • 戸塚 啓●取材・文 text by Totsuka Kei

【盧に向けられた強い風当たり】

 個人的に触れたいのは、1993年のアメリカワールドカップ・アジア最終予選である。

 1986年から2大会連続でワールドカップ出場権を勝ち取っていた韓国代表は、最終予選突破を目指して国内で継続的に合宿を繰り返していた。代表選手のほぼ全員が国内のクラブで所属しており、海外組は金鋳城(キム・ジュソン/当時27歳)と盧だけだった。

 ドイツ・ブンデスリーガのボーフム所属の金は、1986年のメキシコワールドカップ、1988年のソウル五輪、1990年のイタリアワールドカップに出場し、アジア年間最優秀選手賞を3度も受賞していた。それに対して、1993年当時の盧は22歳である。

 最終予選でライバルとなる日本でプレーし、合宿に定期的に参加できない彼への風当たりは強かった。日本へ情報を流しているスパイ扱いまでされていると知ったのは、最終予選が終わってからである。

 サッカー専門誌の記者として現地ドーハで取材をしていた僕は、盧が置かれている状況をまったく把握できていなかった。広島入りから熱心に日本語を学んでいた盧は、日本人メディアに呼び止められると足を止めていた。

 日本のメディアに「ノーくん」と呼ばれ、質問に答えるやり取りは、韓国代表の年上のチームメイトに、韓国のメディアに、どんなふうに映ったのだろう。時には笑顔を浮かべた盧の誠実さが、スパイ扱いされる一因となったとしたら。自分の未熟さや無知を、責めずにはいられなかった。

 J1での通算出場ランキング(2025年8月22日時点)を見ると、韓国人JリーガーではGK金鎮鉉(キム・ジンヒョン/セレッソ大阪)が400試合を超えており、GK鄭成龍(チョン・ソンリョン/川崎フロンターレ)が271試合で続く。J1の複数クラブに在籍したDF黄錫鎬(ファン・ソッコ)が240試合、今季はシーズン途中から清水エスパルスでプレーするDF金眠泰(キム・ミンテ)が219試合、そして盧が215試合である。

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