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米倉恒貴が古巣・ジェフでの戦いにかける熱き想い――「あのとき」のことが色濃く残っている (3ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text by Takamura Misa

 でもそれを実感したからこそ、もっともっとやらないと、と思えたのはよかったと思っています。あと、本職ではない左サイドバックを任せられながら、ひとつでも爪痕を残してやると思ってピッチに立ったなかで、武藤雄樹(SC相模原)のゴールをアシストできたことも。僕、なんかそういうところ、変に持っているから」

 事実、その日本代表デビュー戦での初アシストに代表されるように、米倉は逆境に立たされるほど爪痕を残してきた印象がある。ガンバ時代で言えば、2015年のAFCチャンピオンズリーグ準々決勝第2戦、全北現代モータース戦の後半アディショナルタイムに決めた劇的な決勝ゴールや、同年のチャンピオンシップ準決勝、浦和レッズ戦の延長後半に、右サイドからのクロスボールで藤春の決勝点をアシストしたのも印象深い。

「うん、持っていましたね。特に全北戦は途中出場だったなかで、なぜそこに、みたいなエリアで決めましたしね。それで言えば、試合に限らず、前年までほとんどJ1でプレーしたことのなかった僕がガンバに移籍して、ケガもあったけど試合に出られて、いきなり三冠を獲れたのも持っている以外の何物でもない(笑)。でも、その持っていることって、プロとしては大事な要素というか。

 選手によっていろんな節目があって、みんな頑張っていることには違いないんですけど、単に頑張っているだけでは評価されないのがプロなので。生き残るためにはやっぱり目に見える結果も必要で、そのためには自分が持っている運みたいなものをわかりやすく活かさなければいけないときもある。

 僕はプレースタイルもあって、ケガもたくさんしてきたし、先にも話したとおり、決して巧くて才能豊かな選手ではなかったけど、36歳になった今もこうしてキャリアを続けられているのは、そうした持っている運も味方にできてきたからかもしれない。そう自負しているから......ジェフに戻ってきたのもあります。自分ならジェフを昇格させられるって信じているから」

 その言葉どおり、2019年夏に米倉が古巣に戻る決断をしたのは、プロキャリアで積み上げてきたすべての力を、千葉に注ぐためだ。当時、30歳。戦うステージを下げてでも「今の自分ならジェフの力になれる」と自信を持って下した決断は、"あのとき"への心残りを払拭するためのチャレンジでもあった。

「これだけキャリアを積み上げてきたら、いろんな思い出があるし、ガンバ時代の節目の結果を含めて、言われてみたら蘇るシーンはいくつもあります。優勝とか、日本代表とか、自分が目指してきたものを達成できた瞬間ももちろん全部、うれしかった。

 でも、自分のなかに一番色濃く残っていて、何度も思い返してきたのは、2012年のJ1昇格プレーオフ決勝の大分トリニータ戦なんです。0-0で試合が進むなか、僕は86分にピッチを退いたんですけど、その数秒後に、大分に決勝ゴールを決められてしまった。

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