米倉恒貴が古巣・ジェフでの戦いにかける熱き想い――「あのとき」のことが色濃く残っている (2ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text by Takamura Misa

 そのなかでガンバを選んだのは、ジェフを出るなら遠くに行きたかったから。関東圏とかじゃなくて、地元から遠く離れた場所でサッカーをやることに意味があると思い、ガンバだと。

 僕のように関東で育った人間にとっての関西は、当時、外国に行くようなものだと思っていたし(笑)、ヤットさん(遠藤保仁)、加地(亮)さん、ミョウさん(明神智和)、フタさん(二川孝広)、今ちゃん(今野泰幸/南葛SC)ら、日本のトップクラスの選手とプレーできることにも魅力を感じました。そのなかに身を置けば自分ももっと巧くなれるかもしれないな、と。あと、若い頃から知っている(倉田)秋がいたのも大きかった」

 結果的に5年半を過ごした初めての関西、ガンバ大阪での日々は「まさに外国でした」と振り返る。クラブの雰囲気、チームの空気感、選手それぞれが醸し出すオーラも千葉時代とは大きく違い、当初は驚きの連続だったそうだ。

「2012年に(ガンバから)ジェフに戻ってきてくれた智さん(山口/現湘南ベルマーレ監督)にいろんな話を聞いていたし、あの人が漂わせていた雰囲気やオーラを見て、相当な心構えで飛び込んだつもりでしたけど、それでも、もう全然違って。しかも、開幕してすぐに練習でシュートブロックをしたら右膝が持っていかれて靭帯を損傷し、2カ月くらい離脱ですから。おまけにチームも全然勝てなくて、成績もJ2降格圏まで落ち込んじゃうし、シーズンの序盤はめちゃめちゃビビっていました。

 でも、戦列に復帰したタイミングで加地さんが海外に移籍したこともあって、試合に出られるようになって、チームも(ワールドカップ開催による)中断期間明けから5連勝で勢いに乗って、勝ちを重ねられて。終わってみたら"三冠"ですからね。僕にとってはプロキャリアで初めてのタイトルだったし、もう何が何だかっていう感じでした(笑)。あれは、チームの強さというか......もちろんそれもあるんですけど、なんていうか、ガンバというクラブが醸し出す雰囲気とか、積み上げてきた自信とか、いろんなものがバチッと合わさって結果につながったような感覚がありました」

 また2013年にポジション転向したばかりの米倉にとって、長谷川健太監督と出会い、サイドバックとしての攻撃、守備のセオリーを本格的に学べた経験は、新たな面白さ、楽しさを見出すことにもつながったと振り返る。藤春廣輝(FC琉球)やオ・ジェソク(大田ハナシチズン)らと切磋琢磨しながらポジションを争った経験も、自信になった。

「オンとオフの切り替えの鬼、みたいな人たちばかりのなかで、その空気みたいなものも自分にすごく合っていたし、勝ちを重ねながら成長していく自分も感じられて、すごく充実していました。その流れで2015年には日本代表に選出してもらったんですけど、正直、そのレベルに行くと『まだまだ代表のレベルには達していないな』と思ったのも正直なところで......。

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