磐田に続く清水の降格は結果にすぎない。「サッカー王国の伝統」が静岡には見られなくなっていた (3ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • photo by Kyodo News

日本の典型的な地方都市に

 両チームの弱体化は、ほぼ同じ歩調で進んできた。今季、突然ダメになったわけではない。サッカーどころ静岡の凋落もだいぶ前から進行していた。全国各地にサッカーが普及していく過程で、特に高校サッカーで鮮明になっていった。地域格差がなくなり、選手のレベルが均衡するのは仕方のない話である。静岡の高校生チームがインターハイや選手権で勝てなくなることには必然性がある。

 しかしサッカークラブは本来、伝統がものをいう集団だ。"本場の壁"は崩しにくいものである。欧州、南米が世界のサッカーをリードする所以なのだ。そうした本来、日本にあっては十分備えているはずの伝統、文化がいまの静岡には見られないのだ。

 その昔、筆者が子供の頃、清水にサッカー観戦に出かければ、スタンドの観衆がつぶやく評論性の高い台詞に、「さすが本場は違う」と驚いたものだ。その後、欧州で受けた刺激と同種の気高さや先進性を感じたものだが、少なくともいま、静岡方面から伝わってくる報道は「我々には応援することしかできない」的な、緩いファン気質を代弁したものばかりだ。欧州的でも南米的でもない、世界が遠くに感じられる、サッカーにおいては日本の典型的な地方都市になってしまった感がある。

 日本の地方都市に共通して言えるのは、地元メディアに力がまったくないことだ。厳しいファン気質が決定的に欠けている。これこそが欧州とはまったく違う点である。欧州サッカーはなぜ盛り上がるか。都市国家をベースに発展してきた歴史的な背景もあるが、地方に元気があることが一番だ。

 磐田、清水の降格を静岡サッカーの衰退として括るのは簡単だが、他の地域も同種の問題を抱えているものと、筆者は見る。危ない状況が見えているのに、指摘できない地方メディアの罪は重い。

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