元社長・恩田聖敬が思う「FC岐阜ではなくなった日」。留めてほしかった株式49.9%の意味 (2ページ目)

  • 恩田聖敬●文 text by Onda Satoshi

 けれども、FC岐阜が岐阜県のチームなら藤澤氏に頼る以外の選択肢はなかったのかを残念に思います。かつての経営危機と同様に岐阜県の政財界は今回もFC岐阜を本質的に救えませんでした。もちろんコロナ禍でスポンサーを継続いただいた企業様は多数ありますが、結論として岐阜県はFC岐阜を守ることに対して白旗を上げたことになります。

 藤澤氏は2014年にも増資をしています。当時の社長は私です。藤澤氏と私は敢えて持株比率49.9%にこだわりました。これには藤澤氏の「FC岐阜は私のものじゃなく岐阜県のチームです」というメッセージが込められています。ビジネスの世界では会社を支配したいならば当然過半数の株を取ります。ビジネスの達人の藤澤氏が49.9%に留めた意味をFC岐阜関係者は真剣に考えなければいけなかったのです。

「ここまで助けたからあとは岐阜県で何とかしてください」、少なくとも私はその意味を肝に命じて社長を務めていました。将来的には岐阜県内企業からの増資や岐阜県内銀行からの借入枠の確保も視野に入れていました。しかしALS(筋萎縮性側索硬化症)が全ての目論みを奪い去り、私は社長を退任しました。その後の動きは私にはわかりかねます。

 今回の増資で少なくとも私はFC岐阜が岐阜県のチームではなく藤澤氏のチームになったと思っています。49.9%の増資から8年、チームのためとは言え、果たしてこれが藤澤氏の本意だったかはわかりません。Jリーグのチームに特定の親会社がいるのは珍しくはありません。しかし私にとって今回の増資は藤澤氏の「あくまで支配しない、FC岐阜を岐阜県に託したい」という思いを岐阜県とFC岐阜が受け取れなかったと理解しています。増資の決議をする4月27日の株主総会に藤澤氏以外の大口株主である岐阜県、岐阜市の出席はなかったそうです。とても寂しく思います。

 これからFC岐阜がどこへ行こうと岐阜県ではなく藤澤氏次第です。チームが強くなればそれでいいと思われる方が関係者の大半かも知れません。だけど私は「地域に根ざしたチームを岐阜県に作る」という歴代社長の執念のバトンを受けた身です。藤澤氏におんぶに抱っこ、果たしてこれで良かったのか? 社友を拝命した今だからこそ考えてしまいます。

FC岐阜社友 恩田聖敬

【Profile】
恩田聖敬(おんだ・さとし)
1978年生まれ。岐阜県出身。京都大学大学院航空宇宙工学専攻修了。新卒入社した上場企業で、現場叩き上げで5年で取締役に就任。その経験を経て、Jリーグ・FC岐阜の社長に史上最年少の35歳で就任。現場主義を掲げ、チーム再建に尽力。就任と同時期にALS(筋萎縮性側策硬化症)を発症。2015年末、病状の進行により職務遂行困難となり、やむなく社長を辞任。翌年、『ALSでも自分らしく生きる』をモットーに、ブログを開設して、クラウドファンディングで創業資金を募り、(株)まんまる笑店を設立。講演、研修、執筆等を全国で行なう。著書に『2人の障がい者社長が語る絶望への処方箋』。2018年8月に、気管切開をして人工呼吸器ユーザーとなる。私生活では2児の父。




※ALS(筋萎縮性側索硬化症)とは、手足・のど・舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉がだんだん痩せて、力がなくなっていく病気。 最終的には自発呼吸ができなくなり、人工呼吸器をつけないと死に至る。 筋肉そのものの病気ではなく、筋肉を動かし、運動をつかさどる神経が障害を受け、脳からの命令が伝わらなくなることにより、力が弱くなり筋肉が痩せていく。その一方で、体の感覚や知能、視力や聴力、内臓機能などはすべて保たれることが普通。発症は10万人に1人か2人と言われており、現代の医学でも原因は究明できず、効果的な治療法は確立されていない。日本には現在約10000人の患者がいると言われている。

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