森保ジャパンに最大のバックアップを。
福田正博は覚悟の決断にエール (2ページ目)
彼のことは広島やベガルタ仙台などでプレーしていたときから知っているが、とても謙虚で誠実で真っ直ぐな男だった。プレーに妥協はないけれど、他者に対しては常にオープンマインドで親しみやすく、人間的な魅力に溢れていた。
愛情深いが、サッカーに関してはきちんと一線が引けるのも強みだ。指導者としての彼には、選手たちの考えをよく聞く耳があり、やるべきことをしっかり整理して伝える言葉がある。だからこそ、広島の監督時代に若い選手たちを起用し、その能力を引き出すことで勝利を重ねることができたのだろう。
ほかにも、トレーニングやモチベーション管理など、選手のマネジメント能力にも長(た)けている。Jリーグで若い選手の育成経験が豊富なことは、"東京五輪世代"を率いるうえで大きなメリットとなるに違いない。
森保が年齢やキャリアに関係なく、すべての選手をリスペクトすることができるのは、彼自身が決してエリート選手ではなかったからだろう。1992年に日本代表に初招集されているが、これは1987年に入部した東洋工業(現マツダ)サッカー部の監督をしていたハンス・オフトが代表監督になったことで実現したもの。当初は、他の代表選手のほとんどが「森保」の読み方を知らないくらい無名な選手だったのだ。
しかし、代表デビュー戦となったアルゼンチン戦で活躍し、当時はまだ日本に浸透していなかった"ボランチ"という言葉と共にその名は広まることになる。先入観に左右されずに選手の能力を見極めようとする姿勢は、この経験から培われたところが大きかったのではないかと思う。
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