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金田喜稔&木村和司が森保ジャパンを徹底検証「GKを含めてDFラインの再考は必要かもしれない」 (4ページ目)

  • 小室功●取材・構成 text by Komuro Isao

木村「イタリア対ブラジルも見に行ったな。日差しが強くて、とにかく暑かった」

金田「ジーコがいたブラジルが勝つだろうと言われていたけれど、ロッシがハットトリックをしてイタリアが勝った」

木村「あんたら、最後まで試合を見とらんやろ(笑)」

金田「あまりにも暑いから、レストランかなんかでアイス食べとった(笑)」

「世間的に厳しいと思われている時ほど、いい結果を残すのが日本」(木村和司氏)。photo by Takahashi Manabu「世間的に厳しいと思われている時ほど、いい結果を残すのが日本」(木村和司氏)。photo by Takahashi Manabuこの記事に関連する写真を見る――さあ、いよいよカタールワールドカップ。日本の奮闘はもちろんですが、どんな大会になるのか楽しみです。

金田「2006年のドイツ大会にテレビ解説の仕事で行ったけど、その時に忘れられない出来事があった。ミュンヘンで行なわれた開会式で、各国のレジェンドたちが行進していたんだよ。1970年のメキシコ大会で優勝したブラジルの代表メンバーだったり、1974年の西ドイツ大会で優勝した西ドイツの代表メンバーだったり。過去のワールドカップの開会式のなかでも最高の演出だと思ったね。歴史と伝統を重んじるドイツらしいな、と」

木村「へぇ~」

金田「今回、カタールで行なわれるけど、まだまだサッカー後進国での大会。ドイツ大会の開会式のように、世界のサッカー界を彩ってきたレジェンドたちを招いたらどうかって思うよ。いい雰囲気作りになるから。日本の結果はもちろん注目しているけれど、そういうところも含めて、4年に一度のワールドカップを楽しみたいと思っている」

木村「そうじゃな。日本はドイツ、スペインと同組になって、世間的には厳しいと思われとるけど、そういう時ほど、いい結果を残すのが日本。ポイチには頑張ってほしいし、日本の躍進を期待しとるよ」

(おわり)

金田喜稔(かねだ・のぶとし)
1958年2月16日生まれ。広島県出身。広島工業高から中央大へ。卒業後、JSL(日本サッカーリーグ)の日産入り。主力選手として活躍し、数々のタイトル獲得に貢献した。日本代表でも屈指のドリブラーとして奮闘。国際Aマッチ58試合出場6得点。1991年に現役を引退。解説者、指導者として奔走する。現日本サッカー協会理事。

木村和司(きむら・かずし)
1958年7月19日生まれ。広島県出身。広島工業高から明治大へ。卒業後、横浜マリノスの前身となるJSLの日産入り。チームの司令塔として長年活躍した。日本代表でも「10番」を背負って奮闘。国際Aマッチ54試合出場26得点。1994年シーズンを最後に現役引退。その後、フットサル日本代表、横浜F・マリノスの監督を務めた。

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