江川卓の全盛期を知る田尾安志は、野茂英雄のストレートに「この程度か...」と速さを感じなかった
連載 怪物・江川卓伝〜田尾安志だからこそ知る大エースの弱さ(前編)
現役時代は中日、西武、阪神でプレーし、楽天の初代監督も務めた田尾安志は、プライベートでも家族ぐるみの付き合いをしている江川卓のことを愛でている分、どこが憂いを感じていたこともあった。
「僕が大学4年で、江川が大学2年の時に初めて会って以来の付き合いで、現役でやっている時はなかなか接触できなかったんですけど、お互い引退してからはよく食事に行ったりしています。関西まで家族と一緒に来てくれたりするようなお付き合いをさせてもらっているんですけど、現役の時には気づかなかった江川の弱さを見ることもありました」
82年から3年連続してリーグ最多安打を記録した田尾安志 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る
【10年目をやろう思えばできたはず】
1975年6月、初めて日米野球の日本代表に選出された江川は、多士済々の先輩たちの振る舞いを見て、「この人なら」と思い、自ら歩み寄って仲良くしてもらったのが田尾だったという。
そんな田尾は江川について、こんな印象を持っていた。
「怪物とか騒がれていましたけど、案外、繊細すぎる部分があるって感じました。かつて江川がMCをやっていた番組で草野球チームをつくったんです。江川が監督で、僕がヘッドコーチ。草野球なのに、『田尾さん、この場面どうしましょうか?』ってよく相談されて、すごく繊細だなって思った記憶があります。相手チームのエースという感覚で見ていたときと違うものを、プライベートで付き合いだしてから感じたんですよね。だからもし、この繊細さがなければ、もっと現役をやっていたんじゃないですか」
田尾が言う"弱さ"は繊細さを指すのだが、もちろんピッチャーである以上"繊細さ"は必要不可欠な要素である。しかし繊細さばかりを追い求めてしまうと、ピッチャーとして成立しない。繊細さと大胆さがかみ合ってこそ、投手の型が整えられる。
田尾は、江川の繊細さから生まれる気遣いこそが、プロ野球人生において災いしたのではないかと分析する。
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著者プロフィール
松永多佳倫 (まつなが・たかりん)
1968 年生まれ、岐阜県大垣市出身。出版社勤務を経て 2009 年 8 月より沖縄在住。著書に『沖縄を変えた男 栽弘義−高校野球に捧げた生涯』(集英社文庫)をはじめ、『確執と信念』(扶桑社)、『善と悪 江夏豊のラストメッセージ』(ダ・ヴィンチBOOKS)など著作多数。