2020.11.12

藤川球児が書いた「夢」の落書き。恩師ふたりが語る中高時代のエピソード

  • 寺下友徳●取材・文 text by Terashita Tomonori
  • Photo by Terashita Tomonori

1998年、ドラフト1位で入団した阪神タイガースでは782試合登板で60勝38敗243セーブ163ホールド。MLB、高知ファイティングドッグス、侍ジャパンでもユニフォームをまとい、阪神での935回3分の1で1220個の三振を奪う原動力となった「火の玉ストレート」......。藤川球児投手は偉大な記録以上に記憶に残るプレーで22年間、私たちを元気づけてくれた。

そんな藤川投手の源流は生まれ育った高知県高知市にある。そこで今回は高知市立城北中の恩師・上田修身氏(現:高知商監督)、市立高知商の恩師・正木陽氏(現:同校総監督)に話を聞いた。現在ともに藤川投手の母校・高知商に勤務する2人が「あのころの球児」の思い出を語り、「これからの球児」へエールを送る。

高知商2年夏には甲子園で1勝。兄・順一さんとの兄弟バッテリーが話題となった藤川球児(左)(高知商=写真提供)
【きれいなフォームにシャドウピッチングで「火の玉ストレート」へ】

ーーまず上田監督、高知市立城北中当時の藤川投手のことから教えてください。 

上田修身氏(以下、上田) 
入学前、「小高坂ホワイトウルフ」の監督からは「いい投手だから大事に育ててくれ」と託されていたんですが......。最初の「1年生練習」には来ずに、ハンドボール部にいました。そこで球児の友人に伝言しました。「野球部に入らないんだったら球児という名前を変えろ!」って(笑)。ほどなくして野球部に入部しましたけどね。

 中学入学時の彼は投げ方がきれいな一方で身長は170センチを切るくらい。フォームもインステップ気味だったんです。そこだけは直しながら、市内大会でも準決勝・決勝のダブルヘッダーがある時は、準決勝だけ投げさせて決勝は投げないといったように、登板過多にならないように気を遣いました。 

 そんな球児は野球部を引退してから急に身長が伸びたんです。中学3年の夏に172センチくらいだったのが卒業式では180センチになって。あとは「(自分の)母校を甲子園に連れてってくれよ」という思いで高知商へ送り出しました。

高知商・正木陽総監督(左)と上田修身監督。藤川投手が高知商2年夏に優勝した高知県大会の優勝盾を挟んで