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「王さん、歩け歩け」。
巨人史上最強の5番打者は内心そう思っていた (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

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 歌手といえば、現在、柳田さんは八王子の繁華街でカラオケスナック『まむし36』というお店を営んでいる。自ら店内で歌うこともあるそうだが、「36」は巨人時代の背番号。愛着のある数字なのだろう。さらに歌がらみでいえば、巨人ファンのシンガーソングライター、矢野顕子が作詞作曲した『行け柳田』。これは1977年、柳田さんが5番打者として台頭したときに発表されたのだが、ご本人はこの歌をどう受けとめていたのか、聞いてみたかった。

 それ以上に聞きたかったのは、09年に日本一となった巨人でブレイクした亀井善行の印象だ。というのも、シーズン途中から亀井が5番に定着するとマスコミ上に柳田さんの名前が出てきて、ある記事では〈新・最強の五番打者〉と評されていた。果たして、自身と同じ左打ちの後輩をどう見ていたのか。そして、巨人の5番とはどういう存在なのか。

「亀井君はね、日本プロ野球OBクラブから何かのアンケートがきて、〈今年気になる選手〉という項目があったから、僕は〈亀井〉って書いて出したんです。5番だから、というより、素晴らしい選手ですから。ガンガン打って、サヨナラホームランも3本? 日本シリーズでも大事なところで打ちましたよね? 

 で、僕が巨人にいたときの5番は、3番、4番にONがいてプレッシャーがあった。例えば、僕は最初、西鉄に入ったんですけど、ちょうどその年に高倉さんが西鉄から巨人に移られて、5番を任された。そういう実績ある方でもつぶされちゃうような、重圧があったみたいで」

 高倉照幸の巨人移籍は1967年。この年には広島から移籍した森永勝也も5番に置かれ、65年は東映から加入した吉田勝豊が5番。それだけ他球団から獲ったのも、5番を打てる生え抜き選手がいなかった裏返し。だが、移籍組も5番に固定できるほどの打力を発揮できない。当時の川上哲治監督にとって、「王、長嶋に次ぐ5番を誰にするか」は悩める課題だったといわれる。

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