【イップスの深層】「高卒→プロ」のはずが...大人の事情で狂い始めた森大輔の野球人生
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連載第18回 イップスの深層~恐怖のイップスに抗い続けた男たち
証言者・森大輔(2)
七尾工時代、1試合23奪三振をマークするなど無双だった森大輔 初めて硬式球を握った瞬間、森大輔は不思議な感覚に包まれた。左手の指先から伝わる革や糸の感触、手のひらによくなじみ、収まりがいい大きさ。森は「なんて硬球は投げやすいんだ!」と驚いた。
七尾工業に入学して最初のキャッチボール。初対面の1年生とペアを組むと、相手は森が軽く投じたボールに腰を引きながら捕球していた。「うまくない人なのかな?」と森が思っていると、キャッチボール相手はこう言った。
「球が速すぎるよ!」
すぐさま指導者から「ブルペンに入ってみろ」と言われ、スピードを計ってみると「128キロ」という数字が出た。
強豪校の高校1年生なら、130キロを超える投手はザラにいる。しかし、森が入学した七尾工業はごく普通の公立校であり、まして森は、中学時代は控えの投手だった。
「これなら、1年夏から背番号をもらえるかもしれない。ひょっとしたらレギュラーだって狙えるかも......」
そんな淡い期待を抱いたものの、高校最初の夏は応援スタンドが森の居場所だった。「次の夏には必ずレギュラーをつかんでやる!」。そう固く誓った。
それ以来、森は「毎日30分でも1時間でもいいから、誰よりも練習して帰る」というミッションを自分に課した。それは雨が降ろうが雪が降ろうが変わることはなかった。暗闇に白い雪の粒だけが落ちてくる夜、森はタイヤを引いて走り続けた。
「これだけ雪にまみれて、雨に打たれてもやっているんだ。県で一番のピッチャーになれるはずだ」
森の自室には、横浜高・松坂大輔のポスターが貼られていた。2学年上の同じ「大輔」という名前の甲子園スター。自分もここまで登りつめてやろう。いつかは同じマウンドに立ってやろう......。そう自分に言い聞かせて、また練習に向かうのだった。
高校2年の夏、球速は136キロまで上がっていた。背番号は11だったが、夏の大会での登板を果たした。森は「努力は裏切らないんだ」と自信を深め、さらに練習量を増やしていく。
周囲との野球に対する温度差は広がるばかりで、自主練習はいつもひとりだったが、不思議と苦ではなかった。自分の進化を実感するたび、野球が愛おしく感じられた。
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