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東海大相模の「悲運のキャプテン」は大学日本代表を目指す 守備の名手はプロ入りにも意欲

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro

 大塚瑠晏(るあん/東海大3年)の素早く、小刻みなステップは、まるで機敏な小動物を見ているようだった。

 ショートの守備範囲に弾んだゴロに対して、跳ねるように一歩目を切る。バウンドの質を瞬時に見定め、ササッと捕球体勢に入る。肉眼で追うのが難しいほどハイスピードな握り換えで、気づいたら送球動作が終わっている。大塚の守備はこのようにスピーディーなのだ。

「自分は守備が持ち味ですし、なかでもスピードには自信があるので。今日は、少しは見せられたのかなと思います」

 大塚はそう言ってはにかんだ。身長169センチ、体重73キロの小兵。あどけない顔つきも、どこか小動物を思わせる。

大学日本代表候補強化合宿で華麗な守備を披露した東海大の大塚瑠晏 photo by Kikuchi Takahiro大学日本代表候補強化合宿で華麗な守備を披露した東海大の大塚瑠晏 photo by Kikuchi Takahiroこの記事に関連する写真を見る

【高校時代はセンバツ大会で優勝も】

 11月30日、愛媛県松山市で実施された大学日本代表候補強化合宿に、大塚は初めて招集された。シートノックでひと際目を引いたのが、大塚のフィールディングだった。

 大塚の守備力は、東海大相模に在籍した高校時代から有名だった。ただし、大塚に「悲運のキャプテン」というイメージを持つ野球ファンのほうが多いかもしれない。

 2021年春のセンバツ。大塚が主将を務めた東海大相模は優勝を成し遂げている。しかし、歓喜の瞬間、甲子園のグラウンドに大塚の姿はなかった。急性胃腸炎を発症し、入院を余儀なくされていたのだ。当時を大塚が振り返る。

「胃が痛すぎて、チームが勝ち上がっていく試合も見られませんでした。決勝戦も痛みが残っていて、テレビもちょくちょくしか見られなくて。優勝した時はもちろんうれしかったですけど、その場にいられない悔しさのほうが大きかったと思います」

 再起を期した夏の神奈川大会は登録選手20人のうち17人が新型コロナに感染したため、準々決勝で不戦敗。相次ぐ悲劇に見舞われた大塚は、高校卒業後に東海大へと進学する。大学3年生の大塚にとって、大学日本代表に選ばれることは「悲運のキャプテン」という世間のイメージを書き換えるチャンスでもある。

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著者プロフィール

  • 菊地高弘

    菊地高弘 (きくち・たかひろ)

    1982年生まれ。野球専門誌『野球小僧』『野球太郎』の編集者を経て、2015年に独立。プレーヤーの目線に立った切り口に定評があり、「菊地選手」名義で上梓した『野球部あるある』(集英社/全3巻)はシリーズ累計13万部のヒット作になった。その他の著書に『オレたちは「ガイジン部隊」なんかじゃない! 野球留学生ものがたり』(インプレス)『巨人ファンはどこへ行ったのか?』(イースト・プレス)『下剋上球児 三重県立白山高校、甲子園までのミラクル』(カンゼン)など多数。

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