【自転車】片山右京「世代間ギャップ。若手を育てる難しさ」

  • 西村章●構成・文・写真 text & photo by Nishimura Akira

遥かなるツール・ド・フランス ~片山右京とTeamUKYOの挑戦~
【連載・第9回】

 チーム結成2年目の2013年、前年まで本場欧州のプロツアーチームで戦っていた土井雪広は、TeamUKYOの選手にも高い水準を求めた。しかし、若手の教育は一筋縄ではいかないことを痛感したという。ただ、若手が成長しないことには、TeamUKYO全体のレベルアップにはつながらない。土井は、キャプテンの狩野智也とともに、試行錯誤を繰り返した......。

(前回のコラムはこちら)

土井雪広は本場欧州での経験をTeamUKYOに植えつけようとした土井雪広は本場欧州での経験をTeamUKYOに植えつけようとした「教育って、難しいですね」

 半ば照れたような笑みを浮かべながら、土井雪広はしみじみとした口調でつぶやいた。

 土井が加入したことで、2013年のTeamUKYOは大幅な戦力向上を果たした。しかし、たとえ前年比で飛躍的なレベルアップを果たしていても、その水準はまだ土井の満足できるものではなかった。

 自転車ロードレースは個人が勝敗を争う競技でありながら、究極のチームスポーツという側面が強い特殊性がある。エースライダーを勝たせるための、他選手たちによるアシスト行為やチーム全体の戦術戦略が、勝敗を大きく左右するのだ。

 100キロから200キロ、あるいはそれ以上の長丁場の戦いのなかで、アシスト選手たちに要求されることは数多い。エースライダーの体力を最後まで温存させるために、自らが風除けとなって前で引っぱって行かなければならない。また、ライバル陣営にゆさぶりをかけるため、ときには集団の前に出て、体力を消耗することを承知の上で、あえて独走態勢を作りに行く攪乱作戦に出ることもある。その独走を許したくないライバルチームにしてみれば、逃げを成功させないためにその選手に追いついて集団に吸収し、作戦を潰しにかからなければならない。これもまた、アシスト選手に求められる重要な任務だ。

 このような複雑な駆け引きを経て、ようやく最後にエースライダーが手にする勝利は、その最後の勝負の直前まで彼を支えきり、乾坤一擲(けんこんいってん)の戦いの舞台を整え、送り出したアシスト選手たちの勝利でもある。

 土井がこの4月に刊行した『敗北のない競技』(東京書籍)では、レースの本場欧州で戦った8年間のさまざまな出来事や、そのときの心境が赤裸々(せきらら)に綴られている。そのなかで土井は、自分はあくまでエースを支えるアシストであり、彼らを勝たせることに自分の優勝と同じくらいの喜びを感じる、と述べている。

1 / 3

プロフィール

  • 片山右京

    片山右京 (かたやま・うきょう)

    1963年5月29日生まれ、神奈川県相模原市出身。1983年にFJ1600シリーズでレースデビューを果たし、1985年には全日本F3にステップアップ。1991年に全日本F3000シリーズチャンピオンとなる。その実績が認められて1992年、ラルースチームから日本人3人目のF1レギュラードライバーとして参戦。1993年にはティレルに移籍し、1994年の開幕戦ブラジルGPで5位に入賞して初ポイントを獲得。F1では1997年まで活動し、その後、ル・マン24時間耐久レースなどに参戦。一方、登山は幼いころから勤しんでおり、F1引退後はライフワークとして活動。キリマンジャロなど世界の名だたる山を登頂している。自転車はロードレースの選手として参加し始め、現在は自身の運営する「TeamUKYO」でチーム監督を務めている。

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る