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箱根駅伝2025 2年前の駒澤大「三冠」達成時の主将・山野力は、田澤廉ほか多士済々のチームをどうまとめたのか?

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun

山野力(九電工)インタビュー(前編)

山野(右から2番目)は三冠を達成した2年前のチームのキャプテンを務めた。photo by Sponichi/AFLO山野(右から2番目)は三冠を達成した2年前のチームのキャプテンを務めた。photo by Sponichi/AFLO

 どんなスポーツでもチームをまとめる上で欠かせないのが、キャプテンの存在だ。とりわけ大学陸上部は大人数が箱根駅伝を目指すため、チームをまとめ、牽引するキャプテンの仕事は多彩で、その責任は重い。監督とのコミュニケーション、チームの練習、人間関係、さらに自分自身の競技への集中と、いろいろなことにぶつかりながらキャプテンは、与えられた責務をどのように果たしていくのだろうか――。

【3年時は同学年の田澤廉がキャプテン】

 駒澤大の山野力(現・九電工)がキャプテンになったのは、大学4年の時だった。

 「3年の時、(同学年の)田澤(廉)(現・トヨタ自動車)がキャプテンをしていて、自分が副キャプテンだったんです。4年になると田澤は世界に向けて個人の活動に集中させていきたいというのを聞いていたので、自分がキャプテンになる覚悟はできていました」

 山野が1年の時のキャプテンが原嶋渓(引退)、2年の時は神戸駿介(現・小森コーポレーション)、3年の時は同期の田澤だった。それぞれ個性は異なるが、チームのまとめ方、チーム運営のやり方など参考になることが非常に多かった。

 「原嶋さんはチーム全員とコミュニケーションを取るようにしていて、すごく優しい方でした。神戸さんは仕事面で1年生に負担がかかりすぎていたので、『強くなるためには必要ないだろ』とそれをなくしてくれました」

 3年の時には同期の田澤がキャプテンになった。チームを引っ張る存在になった田澤のキャプテンとしての姿を山野は、どう見ていたのだろうか。

 「田澤はコミュニケーションを取ってチームを作っていくというよりは、練習や試合でキャプテンとしての背中を見せて引っ張っていってくれたので、そこはすごく田澤らしいなって思っていました。その分、自分がみんなとコミュニケーションを取って、調整していくことができたので、そこはうまく役割分担ができたんじゃないかなと思います」

 ただ、一方で田澤の背中を追うことができず、チームから心が離れていく選手がいるのも感じた。

 「競技に対しての姿勢を田澤が示してくれていたので、それにみんながついていこうという感じになっていたのですが、全員がそういう思考になれたかというと、難しかったです。怠けてしまう選手がいましたし、4年生の先輩でもチームをまとめるのに協力してくれる人もいれば、そうじゃない人もいました。ちゃんとやってくださる先輩に『もう少し、同級生にも言ってもらえませんか』とお願いしたのですが、なかなかうまくいかなかったです。やっぱり4年生がしっかりやらないと下はついてこないんですよ。そこが欠けていたので、駅伝でも結果が出なかったんです」

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著者プロフィール

  • 佐藤 俊

    佐藤 俊 (さとう・しゅん)

    1963年北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て1993年にフリーランスに転向。現在は陸上(駅伝)、サッカー、卓球などさまざまなスポーツや、伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「箱根0区を駆ける者たち」(幻冬舎)、「箱根奪取」(集英社)など著書多数。

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