【平成の名力士列伝:水戸泉】豪華な塩まきと取り口で多くのファンの心を掴んだ名関脇の激動の相撲人生

  • 十枝慶二●取材・文 text by Toeda Keiji

その塩まきがトレードマークでもあった水戸泉 photo by Jiji Pressその塩まきがトレードマークでもあった水戸泉 photo by Jiji Press

連載・平成の名力士列伝15:水戸泉

平成とともに訪れた空前の大相撲ブーム。新たな時代を感じさせる個性あふれる力士たちの勇姿は、連綿と時代をつなぎ、今もなお多くの人々の記憶に残っている。

そんな平成を代表する力士を振り返る連載。今回は、大ケガの試練を乗り越え、豪快な相撲と塩まきで人気を博した水戸泉を紹介する。

連載・平成の名力士列伝リスト

【海外でも惹きつけた豪快な塩まき】

 平成3(1991)年に行なわれた大相撲のイギリス・ロンドン公演。そこで人気を集めた力士のひとりが水戸泉だった。大きな手で塩をわしづかみにして天井めがけて豪快にまく姿が「ソルト・シェイカー」と紹介され、喝采を浴びた。

 日本でも海外でも人気を集めた理由は、派手なパフォーマンスだけではない。日本人離れした体格で相撲っぷりも豪快。そして、ヒザの大ケガなどの試練を乗り越え、涙の初優勝をつかんだ劇的な相撲人生が印象的な名関脇だった。

 茨城県水戸市出身で、幼い頃に父親を亡くし、2歳下の弟(のちの十両・梅の里)とともに母親に女手ひとつで育てられた。中学時代は柔道に打ち込み、相撲経験はなかったが、中3の冬、サイン会に訪れて高見山に誘われたのをきっかけに、「苦労をかけた母親に親孝行をしたい」と決意して元横綱・朝潮の高砂部屋に入門。昭和53(1978)年3月場所で初土俵を踏み、59(1984)年9月、22歳で新入幕を果たした。

 190cmを超す長身で懐が深く、右上手を引きつけての寄りは日本人離れしたスケールの大きさがあり、大乃国(のち横綱)、保志(のち横綱・北勝海)、北尾(のち横綱・双羽黒)らとともに将来を期待された。

 大きな試練に見舞われたのは、新関脇の昭和61(1986)年9月場所3日目。大関・大乃国のすくい投げに敗れた際、左ヒザに巨漢ふたりの体重がのしかかった。土俵下に落ちたまま、自力では立ち上がれない。苦痛に顔をゆがませ、車椅子に乗せられて花道を下がった。

 左膝内側側副靱帯断裂、左脛骨顆間隆起骨折、半月板剥離骨折で全治3カ月の重傷。足が長くて腰が高いため、ヒザのケガには入門直後から何度も悩まされてきたが、これほど大きなケガは初めてだった。再起不能との声も聞かれた。3場所連続休場のあと、十両で再起して少しずつ番付を上げ、小結に戻ったところで、今度は足首を負傷。それでもめげずに黙々と土俵に上がり続け、見事に克服してみせた。

 ライバルたちのように横綱や大関はつかめなかったものの、幕内上位に定着。派手な塩まきパフォーマンスで盛り上げ、豪快な相撲で魅せる。新進気鋭の貴花田(のち横綱・貴乃花)に初顔から4連勝するなど、若手の門番的な役割も果たして存在感を示し、欠かすことのできない人気力士となった。

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著者プロフィール

  • 十枝慶二

    十枝慶二 (とえだ・けいじ)

    1966(昭和41)年生まれ、東京都出身。京都大学時代は相撲部に所属し、全国国公立大学対抗相撲大会個人戦で2連覇を果たす 。卒業後はベースボール・マガジン社に勤務し「月刊相撲」「月刊VANVAN相撲界」を編集。両誌の編集長も務め、約7年間勤務後に退社。教育関連企業での7年間の勤務を経て、フリーに。「月刊相撲」で、連載「相撲観戦がもっと楽しくなる 技の世界」、連載「アマ翔る!」(アマチュア相撲訪問記)などを執筆。著書に『だれかに話したくなる相撲のはなし』(海竜社)。

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