武藤敬司×蝶野正洋「闘魂三銃士の25年」を語る (2ページ目)

  • 長谷川博一●文 text by Hasegawa Hirokazu 平工幸雄●写真  photo by Hiraku Yukio

「40歳になったらレスラーから足を洗おうと思ってた」

――武藤さんの上半身の筋肉の張りは相変わらずすごい。蝶野さんは逆に脂肪を落としてスッキリされました。おふたりとも50代に入られたのに健康そうですね。

武藤敬司(むとう・けいじ)●1962年12月23日生まれ、山梨県出身。新日本プロレスでは長きにわたりトップレスラーとして君臨し数々のタイトルを獲得。2002年、全日本プロレスに移籍し社長兼レスラーとして団体を牽引。2013年9月、新団体WRESTLE-1を旗揚げ。最新情報はコチラ→http://www.w-1.co.jp/武藤敬司(むとう・けいじ)●1962年12月23日生まれ、山梨県出身。新日本プロレスでは長きにわたりトップレスラーとして君臨し数々のタイトルを獲得。2002年、全日本プロレスに移籍し社長兼レスラーとして団体を牽引。2013年9月、新団体WRESTLE-1を旗揚げ。最新情報はコチラ→http://www.w-1.co.jp/武藤 ちっとも健康じゃないよ! ヒザは悪いしさ、酒もガンガン飲むから肝臓の数値も気になるしさ。

蝶野 実は俺も去年から糖尿の治療に専念してた。試合数が減ると血糖値も上がっちゃって。でも、今はすごくいい治療法が開発されてて、専門医の勧めを聞いて薬をずっと飲んでたら数値が平常に戻ったけどね。

武藤 糖尿といえば、新日本の先輩レスラーも40代になると糖尿の人が多かったよね。俺らが若い頃、猪木さんと北海道の稚内にいてさ。真冬の北海道でいきなりマラソンをするって言い出した。その勢いで猪木さん、海の中に飛び込んじゃって、俺なんかもう死ぬ思いだったよ。今思い返すと、あれは単に糖尿の治療だったんだよな(笑)。

――武藤さんは何の薬を飲んでます?

武藤 いや、薬は飲んでないよ。サプリメントだけ。というか、ウチ(今年9月に旗揚げした新団体WRESTLE-1)のメインスポンサーはグリコのスポーツサプリメント部門で、俺が代表格のモデルだからね!

蝶野 50代になって常用薬がないなんて珍しいね。闘魂三銃士の25周年に続いて、来年は俺らデビュー30周年も迎えるんだけど、武藤さんはこんなに長く現役を続けるつもりだった?

武藤 新日本から全日本に移った時(02年)に、もう他の商売じゃ生きていけないと思ってた。一応俺、骨接ぎの資格も持ってるじゃない。でも、学校で同期の奴はもう20年くらいその商売をやってるわけだよ。いまさら俺が始めても勝ち目はないと判断したからね。

蝶野正洋(ちょうの・まさひろ)●1963年9月17日生まれ、東京都出身。新日本プロレスでは『G1クライマックス』最多優勝記録(5度)を持つ。2010年に新日本を離れてフリーとなったが、いまなお黒のカリスマとしてプロレス界に君臨し続けている。最新情報はコチラ→http://www.chono.jp/蝶野正洋(ちょうの・まさひろ)●1963年9月17日生まれ、東京都出身。新日本プロレスでは『G1クライマックス』最多優勝記録(5度)を持つ。2010年に新日本を離れてフリーとなったが、いまなお黒のカリスマとしてプロレス界に君臨し続けている。最新情報はコチラ→http://www.chono.jp/蝶野 なるほどね。俺はね、40になったらレスラーからは足を洗おうと思ってた。全然違う仕事を始めるつもりでいたのに、アンタ(武藤)が全日本に行ったからオジャンになったんだよ。

武藤 なんで俺のせいでお前の人生が変わるんだよ!(笑)。

蝶野 プレイヤーとしてキャリアを全うして、適当な時期に引退するつもりだった。でも武藤敬司がいなくなった。それで俺は新日本の取締役兼現場監督とかになっちゃった。裏方業なんて全然考えてなかったのに。

武藤 まあ、それもいい経験じゃないの? 蝶野は今、全日本のアドバイザーでしょ。俺は全日本を離れて新しい団体をつくった。なんだか蝶野の進路から次々と逃げてる気もするな(笑)。

――と言いつつ、武藤さんは以前「最高のタッグパートナーは蝶野だった」と話してましたね。

武藤 いやあ、蝶野はやられるのが好きだしさ。相手の技を受けてくれるから、こっちは楽できてよかったんだよ(笑)。

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