【ハイキュー‼×SVリーグ】デンソー川畑遥奈は『ハイキュー‼』の名言そのままに「楽しむ為」に強さを求め続けた
デンソーエアリービーズ 川畑遥奈
(連載6:デンソー大﨑琴未が学んだ「できるまでやる」精神と「この1点のため」に担う責任>>)
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「勝負事で本当に楽しむ為には強さが要る」
それは人気漫画『ハイキュー!!』の有名なセリフ(烏野高校のOBがピンチサーバーの山口忠にかけた)だが、彼女自身がそれを好むだけでなく、「歩んできたバレー人生そのもの」と形容できるかもしれない。
川畑遥奈は、天下布武を謳った織田信長ゆかりの岐阜城を見上げる街で育っている。小学1年からバレー部に入り、小学6年から部員7人だったチームのキャプテンになった。実は、最初にキャプテン指名を受けたのはチームメイトのセッターだったが、"全国に行くには自分がやるべきだ"と強気にキャプテンを掴み取った。
「自分が拾って、3本目(スパイク)も打つ。そんな感じでした」
川畑は当時を振り返る。
中学に入っても気持ちは変わらなかった。ある夏の大会、春の大会でコテンパンにされていた県内のライバルを逆転して全国に行くために、「自分がやるしかない」と覚悟した。一方で、"バレーはひとりでは勝てない"とも承知していた。
「セッターの子は、ホールディングを取られることが多かったんですが。一緒にめっちゃ練習して、決勝では一回も取られなかったんです。あと、バックの速攻も、『決勝まで隠しておこう』ってみんなと準備して。誰もが自分に(トスが)上がるだろうってところで、(バック速攻が)一発目からスコーンと気持ちよく決まって、そこから流れが自分たちのものになりました。
練習も追い込んでやったのはあるんでしょうけど、"何かがついて"いて勝てましたね。その何か、はよくわからないんですが」
何かの正体はわからなくても、勝利にたどり着くルートを見つけたのだろう。彼女は自信をつけ、成長を遂げた。みんなで勝つ体験が、バレーを続けていく原動力になったのだ。
ポジションはオールラウンドだったが、高校1年(京都橘高)からリベロになった。トップレベルを目指すため、さらに言えば"勝ち続ける為"の選択だ。
「最初は『スパイクを打ちたいな』っていうのもありました。でも、レシーブがいっぱいできるのは楽しくて」
川畑は表情を輝かせて言う。
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著者プロフィール
小宮良之 (こみやよしゆき)
スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。