【ハイキュー‼×SVリーグ】埼玉上尾の岩澤実育は「地味な動き」でチームを助ける 『ハイキュー‼』で刺さったのは顧問の言葉

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki

『ハイキュー‼』×SVリーグ コラボ連載(5)

埼玉上尾メディックス 岩澤実育

「先輩のお姉さんたちと、一緒に食べるお弁当の時間が楽しかった」

 小学1年だった彼女にとって、それがバレーボールコートに通う動機だったという。

 しかし小学3年の時、少女はテレビに映る小柄な選手に夢中になる。もともとレシーブは好きだったが、守備専門のリベロのプレーに大きな衝撃を受けた。「この人みたいになりたい!」と強烈な衝動だった。

 2008年の北京五輪、日本代表でプレーしていた佐野優子は、小さな体で大きな存在感を放っていた。世界屈指のリベロとして、ボールを拾う。その姿が輝いて見えた。

「当時、『佐野さんみたいになって日本代表でプレーする!』って周りに言っていました。作文の将来の夢も、そう発表していたと思います」

 リベロ、岩澤実育の誕生だった。

 小・中学校時代、徹底的に基本を大事にした。技術以上に、取り組む姿勢を鍛えられた。たとえば、サーブレシーブで選手の間にボールが来た時は、必ずカバーに入った。前の選手が取るとわかってもカバーを怠らない。後ろに入って、前の選手がよけてもカバーして失点を防ぐ。ラインジャッジも勝手にせず、その場まで行く。

 地味な動きを繰り返せるか――。それが彼女のリベロの作法だった。

「リベロは、ちょっとした"手助け"の積み重ねだと思います」

 おでこに垂らした巻き毛を揺らし、岩澤は言う。

「あまり目立たなくても、"そこの一本がなかったら、この点数がとれない"というプレーが大事で。たとえば、ブロックフォローにしっかり入っていたから、スパイカーがまた同じところに打てる。カバーに入っていたから、スパイカーが一歩早く助走に入れる、とかですね」

 岩澤は、今やSVリーグでも指折りのリベロと言える。昨年には日本代表にも選出された。実直なプレーが評価されたのだ。

 彼女には過去最高、会心のレシーブがある。

 名門・下北沢成徳高校に入学し、2年生で挑んだ春高バレーの決勝だった。味方がレシーブしたボールがフェンスを越える。しかし彼女は諦めずに追いかけ、フェンス外で必死にカバーした。結局、それは失点になったが、諦めずに食らいついたことでチームを奮い立たせた。結果は優勝だった。

「そのカバーの瞬間は、今でも鮮明に覚えています。派手なスパイクレシーブではないですけど。だからこそ、自分のプレースタイルが詰まっていると思います」

 岩澤は、リベロの自負を笑みに滲ませた。

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著者プロフィール

  • 小宮良之

    小宮良之 (こみやよしゆき)

    スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。

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