【ハイキュー‼×SVリーグ】サントリー染野輝が貫いてきたエース道 『ハイキュー‼』の好きなキャラ1位も「小さなエース」
サントリーサンバーズ大阪 染野輝
(連載1:204cmのサントリー鬼木錬は高校から始めたバレーで挫折知らず 『ハイキュー‼』では音駒のクロの考えに共感>>)
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「小、中、高、そして大学とエースという存在で。それを自覚し、責任を持って、自分にプレッシャーをかけてやってきました」
染野輝は、己の足跡をそう振り返る。自らに負荷をかけ、鍛錬される。鉄は叩けば叩くほど強くなり、やがて光り輝き出した――。
染野がバレーボールを始めたのは、6歳の時だという。ただ、もっと幼い頃から5歳上の姉がバレーボールをやるのを見学したり、試合を応援したり、常に身近な存在だった。小学1年で監督に「やらないか?」と誘われた時、やらない選択肢はなかった。
「姉の影響は強かったですね」
染野は感慨深げに言う。
「ずっとバレーしか見ていなかったし、"面白そう"と思っていました。自分から『入りたい、やりたい』とは言っていなかったと思うんですが、親も(別のチームなどになると)送迎も大変だったはずなので、半強制的に入るという事情もあったといいますか(笑)。でも、嫌じゃなかったので。入った時から、サーブを上から打っていたのを覚えていますね」
スタートからアウトサイドヒッターで、エースの重荷を背負ってきた。トスを託され、決めることで勝つ。決めなかったら"戦犯"として吊し上げられる立場で、中学では重圧に晒され、高校時代(駿台学園)の春高バレー決勝では思うように体が動かない経験もした。しかし、その勝負にとことん燃えてきたという。
「途中でセッターに憧れたこともあるんですけどね、カッコいいなって(笑)」
そう語る染野は、真面目さのなかにどこか茶目っ気もある。
「小学校は弱小チームだったんですけど、小4で合同チームになったあとは勝つ喜びを知って。アウトサイドヒッターは、自分のプレーで勝敗が左右されるのが面白いし、それを自覚してやってきました。でも大学3年の時、(全日本インカレを)2回戦で負けてしまい、責任を持ってやってきたつもりだったけど足らなかったんだなって。だから、4年で『キャプテンやれ』と言われた時は、これ以上なく自分を追い込み、チームも追い込んで......」
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