NBA伝説の名選手:アレン・アイバーソン 「史上最も小柄なMVP」は「The Answer」であり続けた
公称183cmとNBAで小柄ながら得点王、MVPに輝いたアイバーソン photo by Getty Images
NBAレジェンズ連載27:アレン・アイバーソン
プロバスケットボール最高峰のNBA史に名を刻んだ偉大な選手たち。その輝きは、時を超えても色褪せることはない。世界中の人々の記憶に残るケイジャーたちの軌跡を振り返る。
第27回は、類まれないクイックネスと技術、熱いハートで「The Answer」として一時代を築いたアレン・アイバーソンを紹介する。
【事件に巻き込まれた不運を覆しトッププレーヤーに】
1975年6月7日、アレン・アイバーソンは、バージニア州ハンプトンで生誕。生後間もない頃は母アンの祖母の家で暮らし、その後、アンが造船所で溶接工として働くマイケル・フリーマンと暮らすことになるが、そのフリーマンが車の事故で失職したことで生活環境が激変する。
「大変だった。配管が破綻していたから、下水が床に流れていた。電気がつかない時もあった。ママは俺たちが腹を空かさないようにしていたけど、光熱費や食費も払えるかどうかの状況だった」
幼少期をそう語ったアイバーソンには、長い腕と天性の身体能力が備わっていた。当初はフットボールに夢中だったが、9歳か10歳の頃からバスケットボールの虜にもなっていく。厳しい家庭環境だったこともあって、「朝も昼も、それに夜もプレーグラウンドへ出ていた」と当時を振り返る。
最も有名なニックネーム"The Answer"(答え)がついたのは中学生の時だ。コート上でどんな難題があろうと、あっさりクリアしてしまうことからつけられたように、すでにバスケットボール選手としての才能は光るものがあった。
ハンプトンにあるベゼル高校では17歳の時にフットボールとバスケットボールの両方で州チャンピオンへ導き、2種目で最優秀選手賞に選出。これを機に、アイバーソンの名は、一気に全米中へ知れ渡った。
ところが、1993年2月13日に事件が起こる。地元のボウリング場で勃発した50人規模の喧嘩に巻き込まれ、翌日に逮捕される。アイバーソンはその場を抜け出したことを主張し、映像にも自身の姿はなかったのだが、白人の証言によって首謀者と断定されてしまう。17歳ながら成人として裁かれたアイバーソンは、懲役15年の禁固刑を言い渡されることになる。
ただ、この判定に地元の黒人コミュニティが猛反発し、最終的に約5カ月間の服役で釈放されると、ジョン・トンプソンHC(ヘッドコーチ)が指揮を執るジョージタウン大学へ進学。遠征時には辛辣なヤジも浴びたが、アイバーソンは恩師のサポートもあって、本来の才能を発揮し、息を吹き返す。2年次には平均25.0得点、4.7アシスト、3.4スティールと暴れ回り、1996年のNBAドラフトへアーリーエントリーしてフィラデルフィア・セブンティシクサーズ(76ers)から全体1位指名された。
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著者プロフィール
秋山裕之 (あきやま・ひろゆき)
フリーランスライター。東京都出身。NBA好きが高じて飲食業界から出版業界へ転職。その後バスケットボール雑誌の編集を経てフリーランスに転身し、現在は主にNBAのライターとして『バスケットボールキング』、『THE DIGEST』、『ダンクシュート』、『月刊バスケットボール』などへ寄稿している。