『ウマ娘』でも「女帝」と呼ばれるエアグルーヴ 牝馬時代の扉を開いた歴史的戴冠 (2ページ目)
前年にオークスを勝った同馬は、年が変わって夏場の重賞を連勝。好調を維持して天皇賞・秋に挑んだ。
当日は2番人気。断然の1番人気に推されたのは、同年代の牡馬バブルガムフェローだった。同馬は3歳GⅠを制し、翌年には4歳の身で天皇賞・秋を制覇。ここでは連覇を目指していた。
まさに同世代の牡牝トップが並び立った一戦は、2頭の壮絶なマッチレースとなった。レースがスタートすると、若き快速馬サイレンススズカがハイラップで飛ばす。2番手以降は大きく離れて、バブルガムフェローは3番手、エアグルーヴは7番手を進んだ。
両馬の背中には、東西のトップジョッキーが跨っていた。バブルガムフェローの鞍上は東の第一人者・岡部幸雄騎手。そしてエアグルーヴは、西の天才・武豊騎手が騎乗。ふたりがお互いの位置を見ながらレースは進んでいく。
3コーナーを前にした向正面で、サイレンススズカのリードは10馬身近くに広がり、場内からは大きなどよめきが湧いた。しかし、2頭とも自分のペースは崩さない。3、4コーナーでも、ほとんど大きな動きはなかった。
そして勝負の直線へ。まず先頭に迫ったのはバブルガムフェローだ。西陽が差し込むなか、サイレンススズカを追いかける。さあ、ここから連覇へ加速か......と思ったのも束の間、その外から一気にエアグルーヴが並びかけた。道中はライバルの3馬身ほど後ろにいた女帝は、ものすごい瞬発力でライバルの前に出たのである。
この時点で残り200m。エアグルーヴがいったん先頭に立ったが、バブルガムフェローも簡単には終わらない。必死に抵抗し、差し返そうと力を振り絞る。バブルかエアか、2頭のデッドヒートは続いたが、最後まで女帝は譲らなかった。ライバルを前に出さず、クビ差で押さえ込んだのだ。その後方、3着馬とは5馬身もの差がついていた。
牝馬が天皇賞・秋を制したのは、1980年のプリテイキャスト以来17年ぶり。まさに歴史の扉を開いた瞬間だった。
その後、エアグルーヴは同年のGⅠジャパンカップ(東京・芝2400m)で2着、GⅠ有馬記念(中山・芝2500m)で3着と奮闘。牡馬を相手に王道路線の主役を張り続けた。その走りが評価され、牝馬としては26年ぶりの年度代表馬に選定された。
牡馬相手に獲得したGⅠは天皇賞・秋のみ。アーモンドアイなどに比べると、もちろん実績は劣るだろう。だが、ターフを駆け抜けるエアグルーヴの姿を、今なお忘れることはできない。猛々しく牡馬に立ち向かった、女帝の走りを。
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