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久保建英の年内最終戦は「謎の采配」で不発 左サイドでの起用にはレアル・ソシエダの文化的背景があった

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki

 12月21日(現地時間)、レアル・ソシエダ(以下ラ・レアル)は敵地でセルタと戦い、2-0と敗れている。

 ラ・レアルの久保建英は、2024年ラ・リーガ最後の試合で先発を外れている。後半20分から途中出場したが、時すでに遅し、の感もあった。しかも、久保は左サイドで投入され、クロスで好機を作り出したが、(最後の10分は右に回ったものの)不発に終わっている。

「なぜ左サイドで使うのか?」

 先発から外れたことが意外だっただけでなく、起用ポジションについての疑問も噴出した。もちろん、本人も控えには不満だったはずだし、左サイドを主戦場にはしたくないかもしれない。

 しかしながら、バスクという土地には"慣習"が残っているのだ。

セルタ戦に後半20分から途中出場した久保建英(レアル・ソシエダ) photo by Mutsu Kawamori/MUTSUFOTOGRAFIAセルタ戦に後半20分から途中出場した久保建英(レアル・ソシエダ) photo by Mutsu Kawamori/MUTSUFOTOGRAFIAこの記事に関連する写真を見る かつて、バスクは英国サッカーの影響を色濃く受けてきた。たとえばアスレティック・ビルバオは、クラブ名からして英語表記である。1990年代にラ・レアルが初めて契約した外国人選手は、アイルランド代表で、リバプールで名声を高めていたジョン・オルドリッジだった。

 民族的な矜持があるのだろう。スペインという国のなかにあっても、バスクは「独立した民族、歴史に誇りを持つ」(フランコ独裁政権下では、バスク語の使用の弾圧など、長く迫害を受けてきた)という意識が根強くあり、サッカーのスタイルも、スペインよりも英国風と言える。当時の英国風は、キック&ラッシュで押し込み、鋭い弾道のクロスを、高く強いヘディングでゴールに叩き込む。これぞ至高の風景だったわけだ......。

 英国風を踏襲したラ・レアルでは、右からは右足でのクロス、左からは左足のクロスというクラシックなウイングタイプが生き残ってきた。1980年代、ラ・レアルはラ・リーガで連覇しているが、当時のエースは、左サイドを引き裂き、クロスを供給し続けたレフティ、ロペス・ウファルテだった。そしてヘスス・マリア・サトゥルステギが、神がかった跳躍からヘディングでゴールを決めていたのだ。

 2002-03シーズン、レアル・マドリードと優勝を争ったチームも、右に右利きのバレリー・カルピン、左に左利きのフランシスコ・デ・ペドロがいて、中央にはダルコ・コバチェビッチが構えていた。クロスをどんどん打ち込むスタイルで、センターフォワードが合わせる。この構図が伝統になってきたのである。

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著者プロフィール

  • 小宮良之

    小宮良之 (こみやよしゆき)

    スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。

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