浦和・宇賀神友弥が引退を決意した瞬間「他人のプレーを心の底から喜んでいる自分がいた」
引退インタビュー
宇賀神友弥(浦和レッズ)中編
◆宇賀神友弥・前編>>「あの時、見た夢は、ここに続いていたのかもしれない」
宇賀神友弥は、2010年に浦和レッズでプロとしてのキャリアをスタートさせた。FC岐阜から復帰した今季こそリーグ戦2試合の出場だったが、チームが毎年のようにライバルを補強するなかで、10年以上もピッチに立ち続けられたのには理由がある。
どのような成長曲線を描き、彼は浦和レッズが誇る屈指の左サイドバック、ウイングバックになっていったのか。選手としての宇賀神に目を向ける。
その試行錯誤は、アドバイスを送った後輩たちが吸収し、伝統や財産になっていく──。
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宇賀神友弥はどんなプロ生活を歩んでいったのか photo by Sano Mikiこの記事に関連する写真を見る── 浦和レッズに復帰した今季、結果的に選手として過ごした最後の1年はリーグ戦2試合の出場でした。推察するに、苦しいことや悔しいことのほうが多かったシーズンだったと思いますが、思い返すとチームに何を残そうと思って取り組み続けてきたのでしょうか?
「浦和レッズで自分がたくさんの偉大な先輩たちから見せてもらった背中、姿勢、行動を、僕が次の世代に引き継がなければいけない。とにかく、その思いだけでした。
それを多くのチームメイトが見てくれたと思っているし、最後にいろいろな選手が『ウガさんがいてくれてよかった』と言ってくれたのが、僕にとってはすべてでした。その言葉に、しっかりと先輩たちの思いを受け継ぎ、後輩たちに引き継ぐことができたと思うことができました」
── 今季、浦和レッズの選手たちに話を聞くと、多くの選手が、宇賀神選手からのアドバイスが変わるきっかけになったという言葉や成長するヒントをもらったと聞きました。
「それはうれしいですね。引退を発表してから、(小泉)佳穂は本気半分、冗談半分で、『持っているものをすべて落としていってください』と、毎日のように言っていましたから。
あいつは特に『サッカー小僧』みたいなところがあって、最終節の数日前かな、『僕、サッカーがわかりました』と言って、練習の映像を引っ張り出してきて、僕に見せながら言ったんです。『ウガさんだったら、こうするだろうなと思ってやってみたら、自分のなかでつかめた感覚がありました』って。すごくうれしそうに『見て、見て』と映像を見せてくる姿が、本当に少年みたいでした(笑)」
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著者プロフィール
原田大輔 (はらだ・だいすけ)
スポーツライター。1977年生まれ、東京都出身。サッカー専門誌『ワールドサッカーグラフィック』の編集長を務めたのち独立。Jリーグを中心に取材し、各クラブのオフィシャルメディアにも寄稿している。主な著書に『愛されて、勝つ 川崎フロンターレ「365日まちクラブ」の作り方』(小学館クリエイティブ)など。